お金とはどんなものかしら―『言語の金使い 文学と経済学におけるリアリズムの解体』

まずは歴史の勉強。

たとえば塩野七生が『ローマ人の物語』文庫版で、毎巻ごとの表紙に統治者のレリーフを刻印した貨幣を飾っていたように、貨幣の存在は古くから統治行為の中枢にあった。その貨幣の届くかぎりがローマの統治の及ぶところであり、その硬貨の質の良さ、純度の高さがその治世の栄華を物語るものだった。

この時代の貨幣は金銀複本位制を採用していたとされるが、所謂代用貨幣としての紙幣が存在しないために、流通に十分なだけの金銀が用意できない場合には、粗製の悪貨が横行することになる。全ヨーロッパ的な本位貨幣制度の成立には近代を待たねばならない*1

金本位制の正式な始まりは1816年、イギリスでのこと。もちろん金貨を直接に流通させることは物質的に困難であり、ここに流通用の紙幣が登場することになる。この紙幣は金貨と交換することが可能なので、兌換紙幣と呼ばれる。

その後の歴史は、
19世紀後半 金本位制の国際的確立
第一次世界大戦後 金本位制の一時停止
管理通貨制度による不換紙幣への移行の流れができる
1971年にはアメリカもそれに倣い金本位制が完全に終焉する*2

戦争の荒廃は金の流出を招き、本位貨幣制度の困難を露呈する。対するに管理通貨制度では政府が金銀の準備量によらず通貨の発行量を調節することができるため、柔軟な対応が可能になる。金という実体的なものが存在しない分、その流通を保証するのは政府への信用である。それゆえ不換紙幣は信用紙幣とも言われる。

金の直接的な流通から、金本位制度、それからさらに管理通貨制度へ。実物から信用への経済史的な移行は、私たちの存在、思考それ自体に、何らかの影響を及ぼしはしないか?

ジャン=ジョゼフ・グー著、土田知則訳『言語の金使い』新曜社、1998年

言語の金使い―文学と経済学におけるリアリズムの解体
ジャン=ジョゼフ グー
新曜社
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ヨーロッパにおいて、小説や絵画におけるリアリズムの危機が金貨幣の終焉と時期を同じくするのは単なる偶然であろうか。また、「抽象」化した芸術の誕生が、不換的な貨幣記号という、今や遍くいきわたっているスキャンダラスな発案物と同時代に属するのは偶然なのだろうか。そこには、貨幣および言語にとっての保証となり指示物ともなるものの瓦解現象、すなわち、表象作用を突き崩し、シニフィアンの漂流時代を作動させるような記号と物との断絶が見られないであろうか?(7頁)

グーはまさしくそのこと――金本位制の終焉とリアリズムという思考様式の危機――を思考している。そこで彼が範例として取り上げているのがアンドレ・ジッドの『贋金づかいLes Faux-Monnayeurs』である。1925年に発表された本作は、しかし時代設定を戦争以前に置くことで、依然金本位制が効力を発揮しつつ、その体制が揺らぎ始めた時代を捉えている。

貨幣の形式と言語の形式は確かに似ている。著者はその相同性を、次の三点から指摘している。

交換形態の発展を通じて貨幣となった貴金属は、以後まったく異なる三つの機能を果たすと考えることができるだろう。(1)交換尺度としての機能、(2)交換手段としての機能、そして(3)支払いもしくは、蓄財手段としての機能、この三つである。われわれにとって、こうした区別は決定的な重要性を有すると思えるのだが、交換の論理が帯びるあらゆる含意を把握し、非-経済的な一般等価物の形態――たとえば、言語や父性――とのパラレルな関係を明らかにする目的で、それが有効に利用されたことは決してなかった。この区別こそ原型代用貨幣財宝の差異を基礎づけるものであるが、その意味作用は、経済的交換の場をはるかに踏み越えているものと言える。(58頁.強調は原著者)

貨幣の一般的等価物としての側面が経済現象以外で人間存在に影響を与えること、これはマルクス以来の論者に指摘されてきたことであり*3、また言語と貨幣の相同性もソシュールらに認識されたきたものであろう。しかし貨幣の三つの次元(これ自体は経済学の定説)を言語の三機能および精神分析の三領域と結び付け――つまり、シニフィアン=代用貨幣=象徴界シニフィエ=原型=想像界、レフェラン=財宝=現実界というように――、それを原理的に考察したのは本書の画期的性格と言わねばならない。

そして構造的に相同的なものは、同じ時代に同じような変容を迎える*4金本位制の崩壊によって、私たちが用いる紙幣は地金(レフェラン=現実)の保証を受け得なくなり、また、それを用いることで交換尺度(シニフィエ、想像)が機能しているという印象も受けられなくなってしまう。政府のみが尺度となり保証者となる管理通貨制度においては、貨幣の象徴的な部分、代用貨幣のみが流通することになる。

裏付け保証や兌換性をすべて失う傾向にある代用貨幣の流通、原型という理念的な境域や財宝という現実的な境域に対する、ほとんど独占的とも言える象徴的な境域の支配(64頁)

リアリズムにおいてもこの「象徴的な境域の支配*5」が危機を生じさせることになる。すなわち、リアリズムが十全に機能しているときには、文字はあくまで表現のための手段にすぎず、小説を読むことでじゅうぶん現実が描かれていることを確信できたし、指示対象としての現実も揺るぎないものであった*6。ところが徐々に文学と現実との結びつきは自明なものではなくなる。まるで貨幣が金との結びつきを失っていくように。

そのことを明確なアナロジーで示したのがジッドの『贋金づかい』である。小説には数多くの「贋物」が登場する。ベルナールは自分の父親が本当の父ではないことを発見する。オリヴィエの父は権威の欠片もない浮気男である。アルマンの父は神父でありながら信仰の持ち主には思われない。これまで確固たるものとして秩序を維持してきた現実的なものの権威の揺らぎが小説には散りばめられている。いっぽうエドゥアールという作家(ジッドの似姿)は、『贋金づかい』という小説を構想しながら、もはや現実(外面も内面も)を描きとるような文章を書けないことを自覚している。

Jusqu'à présent, comme il sied, mes goûts, mes sentiments, mes expériences personnels alimentaient tous mes écrits ; dans mes phrases les mieux construites, encore sentais-je battre mon cœur. Désormais, entre ce que je pense et ce que je sens, le lien est rompu. (Les Faux-Monnayeurs, p.95)
今日まで、思いのままに、私の趣味、感情、個人的経験は私の書き物すべてを養ってきた。最も美しく構成された文章においてすら、やはり私の心を打ったものだ。これからは、私の考えることと感じることのあいだには、つながりが絶たれている。(エドゥアールの日記)

« Est-ce parce que, de tous les genres littéraires, discourait Edouard, le roman reste le plus libre, le plus lawless..., est-ce peut-être pour cela, par peur de cette liberté même (car les artistes qui soupirent le plus après la liberté, sont les plus affolés souvent, dès qu'ils l'obtiennent) que le roman, toujours, s'est si craintivement cramponné à la réalité ? » (p.183)
エドゥアールは論じたてた。「それだから、あらゆる文芸ジャンルのなかで、最も自由にして無法な小説が……ひょっとするとそのために、その自由それ自体へのおそれのために(というのも何より自由を渇望する芸術家たちこそ、それを手に入れてしまえば、しばしば逆上するものだから)、小説は今も昔も、現実というものにびくびくしながらしがみついているのではありませんか?

リアリズムの危機、もっと言えば、小説の危機に敏感であったジッドは、それでもリアリズムの方法を捨てることなく、作家がリアリズムの危機に瀕しながら「純粋小説」を目指してゆくという、メタフィクションの技法を用いることで、表象の危機それ自体を表象の対象としている。

そこでジッドが表象の危機を贋金(貨幣の通用を不確かなものに変えてしまう)のメタファーで自覚的に捉えているかぎり、グーの分析を読まずとも、『贋金づかい』の読者たちはこの相同性に気付くことができる。だからグーの分析は派手な手法を用いてはいるものの、小説の読解という意味では、メタファーを直喩的に語り直しているだけ、という印象も与える。それゆえ、『贋金づかい』の布置が明確にはなるものの、刺激的な発見をさせるというわけではない。

ジッドのこの小説は、経済主体論だけが、現代社会の生み出しうる唯一の世界観となってしまうような瞬間を指し示している(もしくは、予示している)のである。(38-39頁)

とはいえやはり面白いのは、アンドレ・ジッドの小説を、その叔父で経済学者のシャルル・ジッドの分析と重ね合わせながら読むところだ。シャルル・ジッドというのは著名な経済学者らしく、日本語でも『経済学入門』という著書が訳されているようだが、彼は貨幣を四つに分けて分析している。

それ自体に十全な真正価値を備えた金貨幣(もしくは銀貨幣)、兌換性を保証された表象的な紙幣、保証の定かでない信託紙幣、そして、兌換不可能で強制流通制度のもとでしか流通しない取決め的な紙幣――しばしば「名目=虚構的な貨幣」と呼ばれる――、この四つである。(32頁)

この金貨幣から金本位制、管理通貨制度への移行を捉えた著作をアンドレ・ジッドが読んだことがある、あるいはその内容について叔父と語り交わしたことがある、というのは十分にあり得ることだ。それが事実かどうかはともかく、この辺りの符合は興味深い。

グーの著作の微妙さ――理論的には派手だが小説の読解としては例証的すぎる――は、実のところ、ジッドの小説それ自体の微妙さに由来している。彼の『贋金づくり』におけるメタフィクション構造は、表象の限界にぶつかった古典主義的作家アンドレ・ジッドの足掻きの挙句に現れたものである。様々な展開が派生的に描かれてはいるが、そのせいで本筋というべきものは失われ、散逸化しており、小説として成功しているかというと、あまりそういうものではない。グーもその点を批判してもいる。

この小説は、(原型を志向させることで)言語における理念性の次元を確保しようと努めながらも、そうした理念性の次元を、純粋なる思惟的構築の方へとこっそりずらし変えてしまっている。<理念>に適合した詩は、より散文めいたもの、すなわち、観念小説と化してしまうほかない。(114頁)

ジッドの小説もまた例証的なものであって、時代の状況をうまく切り取り、またそれを青春小説としても機能させてはいるものの、そこに介入しようとか、動かそうとする力を感じさせない。そのために、『贋金づくり』は「おしゃべり」と「黙考」の中間地点での戸惑いばかりを示す。

『言語の金使い』は二部構造からなり、第一部は『贋金づかい』を取り上げているのだが、第二部ではそこで得た知見をより広いコンテクストに置き直している。そこではゾラ、マラルメムージル、シャルル・ジッド、ソシュールゲーテヴァレリーが論じられるのだが、ここにこそ著者の言い分が隠れている。

それは端的に言えば、流通する貨幣と一般的等価物に対抗するものとしての、詩的プラトニズムプルースト的な無意志的、喚起的な想起をもたらすものへの賛美であり、想像界復権である。

具体化された一般等価物がもはや存在しなくなると、理念的あるいは想像的な機能が、交換を超えた超越性を取り戻す。一方、自律的になった交換主義的機能は、形式主義的論理や代用貨幣――浮動する交換=兌換不可能なシニフィアン――の操作に全面的に委ねられたままである。したがって、もはや理性による形式化――銀行コンピューターがそのもっとも顕著な政治的示現形態と言えるが――に対立しうるのは、疎外された交換によっては媒介されない、「絶対的」で「初源的」な意味作用の探求をおいてほかにない。(284頁.最後のもの以外は原著者強調)

つまりジッドよりもプルーストマラルメヴァレリーの方が著者の趣味には適しているのだが、ここで言う「「絶対的」で「初源的」な意味作用の探求」とはいささかナイーヴな結論だと言わざるを得ない。確かに、「詩は尺度として考えられねばならない」というハイデガーの言葉を引用するとき、グーの態度は現代思想的に模範的なアプローチではある。『芸術作品の根源』においてハイデガーは詩的なものの開示性、根源への開かれを論じている。これは現代の技術主義的配置に対するハイデガーなりの「救済」であり「解決策」であり、このような詩的なものの特異性は今日においても一部で共有される態度ではある。

しかし「詩的なもの」の機能不全、これこそが現代の掲げる問題ではないか? 確かに著者はこの詩的経験を「依然問題含みの経験」と呼び、その汲み上げをそれでも「余儀なくされている」(284頁)ということで、留保をつけている。それでも1984年に出版された本書が、当時の現代にまで通用するような感覚を汲みとっているとは思われない。もう少し別の観点を持つことも必要だろう。

*1:このあたりの記述はすべてWikipediaによるので、適当。

*2:アメリカだけ金本位制を維持し続けることができたのは、戦争による荒廃を受けず債権国としての力があったから?

*3:たとえばアドルノ/ホルクハイマーは『啓蒙の弁証法』で「市民社会等価交換原理によって支配されている。市民社会は、同分母に通分できないものを、抽象的量に還元することによって、比較可能なものにする。啓蒙にとっては、数へ、結局は一へと帰着しないものは仮象と見なされる。そういうものを、現代の実証主義は詩の領域に追放した。」(岩波文庫、30頁)と指摘する。あるいはジャン=リュック・ナンシーの『フクシマの後で』は現代社会を一般的等価性の原理から考察している。「マルクスは貨幣を「一般的等価物」と名づけた。われわれがここで語りたいのもこの等価性についてである。ただし、これをそれ自体として考察するためではなく、一般的等価性という体制が、いまや潜在的に、貨幣や金融の領域をはるかに超えて、しかしこの領域のおかげで、またその領域をめざして、人間たちの存在領域、さらには存在するものすべての領域の全体を吸収しているということを考察するためである。」(以文社、25頁)

*4:これは勿論俗流マルクス論的な下部構造決定論ではなく、様々な文化形式が構造的に相互作用しているということ。

*5:所謂「シニフィアンの過剰」である。

*6:いささかナイーヴな図式化ではある。グーはリアリズムの代表例としてバルザックやゾラを念頭に置いているので、前回のエントリ「読書会。『いま、なぜゾラか』」でこの辺の引用を一つしておいた。

読書会。『いま、なぜゾラか』

2007年に『ジェイン・オースティンの読書会』が公開されたことが決定打になったのか、「読書会の流行」は実質以上にマスコミでもてはやされるようになっている。『読書会』の邦訳を刊行した白水社が「読書会ノススメ」という特集を組んだときは、白ワインがどうだのロハスがどうだのという押し出し方に辟易しないでもなかったけど、まあだいたい世の中は知的で洗練された雰囲気のもとに旺盛な性欲を包むことを美徳と考えるものだし、それはたとえば「「読書会」が密かなブーム!人気のカギは“出会い”だった!?」というR25の記事タイトルにも窺えるとおりだ。

でもそれは正しい。すごく正しい。『ソーシャル・ネットワーク』(2010)がFacebookを出会い厨御用達ツールと暴き立てたように、SNSのSの字のどちらかはおそらく元々セックスを意味していたんだろう。かといって直接「会いませんか」というのも気が引ける。誘う側も誘われる側も何か口実を欲するものだ。そういうとき映画や美術館や観劇行為というものが伝統的に性欲の知的表現として役立てられてきたし、それもすごく正しかった。しかし一対一というのもいささか勇気のいるものだから、そこに読書会の必然がある。知的な人間にしばしば性的魅力が欠けていることは認めざるを得ないものの、元来知性と性欲は相性がよいものである。

さて、2/21(木曜)の午後7時から高田馬場で読書会が催される。

テキストはゾラの『ナナ』(新潮文庫)

これは以前からフランス文学読書会として、かれこれ一年ほどやっているもので、次でたぶん15回目。

これまでに読んできたのは、ラシーヌ『フェードル』、ディドロ『運命論者ジャックとその主人』、ルソー『エミール』、サド『ソドム百二十日』、ユゴーノートルダム・ド・パリ』、ノディエ『ノディエ短編集』、ネルヴァル『火の娘たち』、ロートレアモン伯『マルドロールの歌』、フローベールボヴァリー夫人』『感情教育』、スタンダール赤と黒』、バルザック『あら皮』、モリエールドン・ジュアン』、クノー『厳しい冬』、これで全部だと思う。王道を突き進んでいる。

前回のクノー以外すべて参加してる私に言わせてもらえれば、この読書会はけっこう面白い。フランス文学にそれなりに詳しいひともいる。さほど興味ないひともいる。知らない者には知ってる者が長広舌をふるうので勉強になる(はず)。人数がそれなりに少ないので意志疎通に困難が生じたりはしない(はず)。適当に思ったことを語り合う場(間違いない)。
というわけで、暇なひとは来るとよい。出会いを求めに来てもよい。まあMummy-D曰く「どうせ出てきゃしないぜ男しか」だけど。いやそれも嘘か。
テクストはこれ。

ナナ (新潮文庫)
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ゾラ
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告知は以上。せっかくなのでゾラの紹介も。

真っ赤なゾラを見ただろうか?

ゾラという名前に聞き覚えはあるだろうか? 19世紀末の作家だ。

高等教育を受けた人間の頭の隅には「私は告発するJ'accuse」という言葉が残っているかもしれない。これはゾラがドレフュス事件というユダヤ人軍人の冤罪事件を告発したときの新聞記事タイトルで、クリストフ・シャルルの『「知識人」の誕生 1880‐1900』(藤原書店、2006)という本によれば、世に「知識人」というカテゴリーが登場したのはこの事件がきっかけとなってのことだという。それほどこの事件は(言論界を巻き込みつつ)第三共和政フランスを揺るがしたが、そこで冤罪解消に向けての世論形成に、ゾラが一役買った。これは彼のジャーナリスト的側面。

次に世界史の資料集なんかが好きだったひとは、こういう絵画を観たことがあるかもしれない。

これは『オランピア』や『草上の昼食』で有名な画家のエドゥアール・マネが描いたゾラの肖像画だ。いま観るとそれほど衝撃のない絵ではあるが、『オランピア』の登場は画壇を震撼させた。あまりに直接的に女性(しかも娼婦)の裸体を描いたためにスキャンダルになったのだ。不道徳との謗りを受けたマネは窮地に立たされる。そのマネの画才を擁護するべく論陣を張ったのがゾラであって、マネは彼への感謝のしるしにこの肖像画を描いたのだという。書斎の右上には当時流行のジャポニスムの絵が何故か飾られているが、その手前にあるのは『オランピア』だし、羽ペンの後ろにある書籍はゾラの『マネ論』である。これは彼の美術批評家的側面。

最後に、彼の作家的側面があるが、これが最後になってしまうのは何とも悲しい。文学史に少し知識のあるひとは「ああ、自然主義の作家ね」といい、『ナナ』や『居酒屋』を挙げる。しかしそこまでであって、しかも自然主義というのは退屈のレッテルと似たものであるから、ますます興味がもたれない。

それじゃいかん! ゾラはもっと面白いだろ!
という思いを抱いたゾラ愛好家たちが集い、彼の没後100年にあたる2002年から藤原書店で『ゾラ・セレクション』が刊行されている(未完結)。
詳しくは書店ホームページで確認願いたいが、なかでもプレ企画『いま、なぜゾラか』(HP紹介)は編者たちの熱意が垣間見られて面白い。

いま、なぜゾラか―ゾラ入門

藤原書店
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小倉 とにかくゾラは、日本では名前はよく知られているのにその多様な側面がよく理解されていないし、正当な評価も受けていない作家なんです。そのことにたいする義憤のようなものが、今回のセレクション立ち上げの根底にありました。[...](68頁)

はじめの鼎談からこれなので、とにかくゾラが如何に素晴らしいかを熱弁している。冒頭には「ゾラは人類の良心を体現したのである」と締めくくられたアナトール・フランスの追悼演説まで載っている。これはすごい。

先に触れたジャーナリスト的側面、美術批評家的側面、そして作家的側面(文学評論家・理論家としての側面と実作家としての側面)も、第三章「ゾラの多面性」で論じられる。
著者たちは19世紀の文化史や出版事情、絵画史に詳しいひとたちなので、ゾラという作家の豊かさがテクストの中からも外からも掘り下げられてゆくのは、快感の一言に尽きる。

とりわけ興味があるのは第五章「文学マーケット―バルザックからゾラへ」だった。
ここでは当時徐々に市場と結び付いてきた「作家」という職業を、ゾラが自らのものとしてどのように確立していったかが解説される。
それ以前の作家は年金生活をしていたので、生きるために書く、という必要がなかった。ゾラはそうではない。書くことが生きることなのだ。
ゾラについて次のような文章がある。

バルザックやゾラの言語は、それゆえ、ブルジョワ的な貨幣――揺るぎない金本位制、確固とした交換=兌換可能性、そして直接交換という中立的媒介手段に支えられた、安定した貨幣――と同一のステイタスを共有することになるだろう。(ジャン=ジョゼフ・グー著、土田知則訳『言語の金使い 文学と経済学におけるリアリズムの解体』新曜社、1998年、162頁)

引用は難しいので詳述しないが、作家の言語に対する関係は作家の貨幣に対する関係と似たところがある。哲学者ミシェル・セールはゾラ論『火,そして霧の中の信号』のなかで、ゾラにおける流通=循環のテーマ系を導き出しているそうだが(第六章「ゾラはこれまでどう読まれてきたか」参照。ドゥルーズクリステヴァブルデューをはじめとする現代哲学・社会学がどれほどゾラを参照項としてきたかまとめてある)、そこに貨幣の流通を読み込むこともまた正当だろう。

流通、循環、ゾラは絶えざる動きであって、そのエネルギーから蒸気のようなものが立ち込めてくるのを目の当たりにするとき、もう『ナナ』の緞帳は上がろうとしている。

白に金を配し、薄緑色に引立てられた場内は、切子ガラスの大きなシャンデリヤのキラキラする反射を受けて、まるで霧が立ちこめているように、ぼうっとかすんでいた。(『ナナ』新潮文庫、6頁)


マネによるナナの絵。画家が『オランピア』で女の身体を露わにしたのと同じように、作家は『ナナ』で女の身体性を露わにしている。
ナナはいつも鏡とともに描かれる。彼女の眼差しはいつも彼女自身に向けられている。

アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』と『オデュッセイア』

「オデュッセイア的転回」の後半で、ごくあっさりと『啓蒙の弁証法』に触れた。

アドルノ/ホルクハイマーはまた『啓蒙の弁証法』でセイレン譚を取り上げ、オデュッセウスを「自己保存的理性」(岩波文庫、132頁)と呼んでいる。

せっかくだから触れておいた方がよかろうという浅い発想に基づいての引用だったが、あとで同書を読み返してその軽率に気が付いた。かなりミスリーディングだったと思う。そのままにしてもよいのだけれど、「アドルノ セイレン」でググるとこのエントリが一ページ目に表示されるようなので、補足しておきたい。

啓蒙と神話


啓蒙の弁証法』は通読の難しい書物だと思う。最も有名な論文「啓蒙の概念」の大要は、序文で著者たちの挙げるように「1.すでに神話が啓蒙である2.啓蒙は神話に退化する」(15頁)というテーゼに集約されているが、それに補論1「オデュッセウスあるいは神話と啓蒙」補論2「ジュリエットあるいは啓蒙と道徳」という本論とほぼ同文量の二論文がセットになっている*1。そこに大衆文化批判「文化産業論」と啓蒙の限界を集約するものとしての反ユダヤ主義についての論「反ユダヤ主義の諸要素」が続く。さらに「手記と草案」という断片的思索まで本文に組み込まれており、「哲学的断想」という副題の示すとおりの反体系的な書物である*2

といって文章自体は緻密に書かれているが、あまりに濃縮されたものなので思考に追いつくことも難しい。また、ナチの台頭と「西洋理性の危機」に応えるべく39-44年に書かれた本書は、当時の時代状況を反映して随所で批判を加えており、一種社会学的な側面もあるのだが、たとえば、

ついに自己保存が自動化されるに及んで、生産の管理者として理性の遺産を相続したものの、相続権を剥奪された者[理性]を憚って、今や理性に恐れを抱くようになった者たちの手によって、理性は解任される仕儀に立ち至る。啓蒙の本質は二者択一であり、択一の不可避性は支配の不可避性である。(70-71頁)

という有名な一節にしたところで、「「ついに」っていうけどじゃあ具体的に何年何月何日何曜日地球が何回回った日のことなんですか?」と聞いても仕方がない。純粋な哲学的思弁によって西洋史は紐解かれ、黙示録的な語調でもって歴史の終焉が託宣されている。危険なまでの説得力だ。

ところで、本書の読者は、もうナイーヴに近代的理性の語を用いることができない。理由は二つある。一つ目、理性には予め権力の概念が組み込まれており、その担い手たる自立した「個人」という概念も外なる自然と内なる自然への支配・抑圧を経て成立するものであるから。二つ目は、それはそもそも「近代」の問題ではないから。

じっさい、理性・自由・市民性の系譜は、市民の概念の由来を中世封建制度の終焉以降におく歴史観が想定するよりも、比較にならないほど遥か昔にまで遡ることができる。(106頁)

オデュッセイア』論がとりわけ重要になるのは、それが理性・自由・市民性という概念の近代に留まらない根源性を明らかにするからだ。私たちはしばしばナイーヴにホメロス叙事詩の登場人物たちを近代ならざる精神の持ち主、つまり非-啓蒙的な神話の世界を生きる者と捉えているが、アドルノ/ホルクハイマー*3が「すでに神話は啓蒙である」というとき、啓蒙思想家としてのホメロス像が露わになる。

アドルノ/ホルクハイマーの『オデュッセイア』論でとりわけ有名なのはセイレン譚の解釈だが、これは本論「啓蒙の概念」でさらりと触れられているだけで、補論ではあまり重視されていない。おそらくみんな補論は飛ばして読むので、このセイレン譚だけが独り歩きしてゆく。私もつい「『啓蒙の弁証法』でセイレン譚を取り上げ、オデュッセウスを「自己保存的理性」(岩波文庫、132頁)と呼んでいる」などと書いたが、実は「自己保存的理性」の引用は補論からやってしまっている。これがミスリーディングたる所以である。

戦後の思想はナチズムという軛から未だに解放されていない。多くの思索が、ナチズムを西洋史上の偶発的な事故としてではなく、その最終的帰結として捉えているし、それは正しい。国家社会主義ドイツ労働者党の統治は野蛮や非合理性の名のもとで断じられるべきではない。そのような断罪は、理性を優遇して保存しようとする態度に他ならないからだ。むしろ、きわめて合理的に推進されたその統治が、何故同時に野蛮の極みたる反ユダヤ主義を選択したのか。それは非合理性や野蛮で片づけられるよりも理性の合理性追求の末路ではないか。それは理性、あるいはそれを絶対化してきた啓蒙の概念それ自体に組み込まれたプログラムなのではないか。本書はそのような視座で書かれた書物であり、今日への影響は測り知れないものがある。

近代的理性オデュッセウス

私たちの多くにとってホメロスとは神話=叙事詩の語り手である。とりわけルカーチの歴史哲学において神話=叙事詩と小説の区別は絶対であり、小説の時代とは近代であった(「『イリアス』における運命論的思考」参照)。ところがアドルノは、まさにルカーチへの批判を意識しながら次のように書く。

叙事詩と神話とは同一視されがちであるが、この見地はもともと近代古典文献学によって破棄されたものであり、その誤りは哲学的批判によってあます所なく明らかにされている。叙事詩と神話はそれぞれ別箇の概念なのである。[...]歴史哲学的には小説[ロマーン]と敵対関係にある叙事詩においても、結局、小説に似た様相が出現して、意味豊かなホメーロスの世界の荘厳なるコスモスを秩序づける理性の成果であることが開示される。秩序付ける理性は、コスモスを合理的秩序をもつものとして描き出すが、まさしくそれによって、神話は解体されてしまう。(103-104頁)

ホメロスという精神、偉大な編集者としての精神が、神話に秩序を与えて叙事詩を歌い上げるとき、そこには既に神話の解体が生じている。ホメロスとは理性の別の力[ムーサ]を借りて歌う神話的な何者かではなく、既に理性を持ち、小説の如くに語る者なのである、とアドルノは論じる。ここは繊細な理解が必要な個所である。アドルノ叙事詩を見境なく小説と見做す議論を批判する。それは「神話」を保存することになる。そうではなく、叙事詩と神話とは別物でありながら、互いに「支配と搾取」(107頁)を共有しているのである。つまり私たちが神話のリソースとして接するものには、常に既に啓蒙の要素が現れている。

神話の原型はすでに欺瞞の契機を含んでおり、この契機はファシズムの唱えるまやかしの中で勝ち誇っているが、しかもファシズムはその責めを啓蒙に負わせてしまう。ところが、ヨーロッパ文明の基本テキストたるホメーロスの作品くらい、啓蒙と神話との錯綜した関係をより雄弁に証言しているものはない。ホメーロスでは叙事詩と神話とが、形式と素材とが、相互に区別されるというだけではなく、両者はむしろ互いに対決し合っている。(107頁)

私も前回のエントリでルカーチ叙事詩/小説の絶対化への疑問として『オデュッセイア』を「小説へのはるかに大きな一歩」だと述べ、『イリアス』から『オデュッセイア』への移行を「オデュッセイア的転回」と定義した。しかし、はるかにラディカルなアドルノ/ホルクハイマーにとって、このような転回は存在しない。確かに彼らも小説的構造の典型として『オデュッセイア』を論じているが、『イリアス』もまたホメロスの理性的精神で書かれたものであるからには、小説的な要素を備えていると考えられるからである。前回のエントリでアドルノを引いたのは、ある意味で私の立論を破壊しかねないものであり、ここでもミスリーディングだったと言える。とはいえ、アドルノ/ホルクハイマーにとっても『オデュッセイア』がより範例的であることは同じである。

この点[叙事詩の脱神話化]は、『オデュッセイア』において、この叙事詩が冒険小説の形により近づいているだけに、一層鮮やかに認められる。多端な運命と対決しつつ、自我が唯ひとり生き抜いてゆく姿には、神話と対決する啓蒙の姿が浮彫りにされている。(108頁)

オデュッセウスの駆使する神々と渡り合う機智は外なる自然の支配を、誘惑に打ち克つ忍耐は内なる自然の支配を意味する。しかしこの詭計に含まれている詐術のうちに、自らが落ちてゆく危険に彼は気付かない。ひとが「自己」の同一性を確保するのは、神話を材料としてでなければならず、「神話から自分自身を借りて来なければ」(110頁)ならない。それでは啓蒙がいつ神話に退化するのか予測することができないのである。またその自己支配が自らの生の欲望の否定によって成し遂げられるものであるかぎり、彼はその自己の抹殺を条件として自己を成立させる。

人間の自己の根拠をなしている、人間の自分自身に対する支配は、可能性としてはつねに、人間の自己支配がそのもののために行われる当の主体の抹殺である。なぜなら、支配され、抑圧され、いわゆる自己保存によって解体される実体は、もっぱら自己保存の遂行をその本質的機能としている生命体、つまり、保存さるべき当のものに他ならないからである。(119頁)

それゆえ、「文明の歴史は犠牲の内面化の歴史である。」(119頁)しかしながらその犠牲が捧げられるべき自己は存在しない。もはや文明は非人間化された数的合理性のもと、理性すら用済みのものとして管理の対象となりおおせる。これがアドルノ/ホルクハイマーの啓蒙批判の全貌である。

オデュッセウスはこの神話と啓蒙の格闘を生きる。そして彼が打ち立てるのはまさしく今日私たちが「主体」として享受するところのモデルであるために、彼は「経済人」(130頁)と呼ばれ、「資本主義経済の原理を体現」(130頁)しており、「市民社会を構成していた根本原理に従って」(131頁)生きている、と言われるのである。

セイレーンが聞こえるか?

このようにアドルノ/ホルクハイマーの議論は、人間と自然のあいだの支配関係のみならず、自然を征服して主体を形成したはずの人間が再び支配に服することになる理由を解明する。では、芸術はどこに位置付けられるか。実は、セイレーン譚は芸術の起源への思索である。

啓蒙と進歩が手を取り合うとき、ひとは現在を未来のために犠牲にして、過去を現在の背後に押しやる。これによって過去は死に絶え、現在は抑圧される。芸術は、本来このような時間性からひとを解き放ち、救済するたぐいのものである。

過ぎ去ったものを、進歩の材料として役立てる代わりに、むしろまだ生きているものとして救出しようとする熱望は、ただ芸術のうちでのみ充たされてきた。過去の生活の叙述としては、歴史もこの芸術の中に含まれる。芸術が認識と見なされることをあきらめ、かつそうすることで実践と手を切るかぎり、芸術は快楽と同様、社会の実生活から寛容にあつかわれる。しかしセイレーンの歌は、まだそういう芸術になるほど無力化されていない。(72頁)

セイレーンの歌は「みのり豊かな大地の上におこったかぎりのすべて」を知り、その声で誘惑するがために、生きている過去の声、芸術の声である。芸術は社会に阿るものではなく、大衆迎合するたぐいのものではない。何故なら芸術とは管理された快楽のように大衆の麻痺に資するものではなく、その逆に、反-社会的な性格を有しているからである。

オデュッセウスはセイレーンから脱出するために、自らを帆柱にがんじがらめにして、仲間の兵士たちの耳を蝋で塞ぐ。これでもって、自らはその声色を耳にしながら死の危険を回避し、兵士たちは何も聞こえない状況でがむしゃらに働く。アドルノ/ホルクハイマーはこれを芸術鑑賞者と労働者の隠喩として捉える。

彼が自分を実生活に取り消しようもなく縛りつけた縛めは、同時にセイレーンたちを実生活から遠ざけている。つまり彼女たちの誘惑は中和されて、たんなる瞑想の対象に、芸術になる。縛りつけられている者は、いわば演奏会の席に坐っている。後代の演奏会の聴衆のように、身じろぎもせずじっと耳を澄ませながら。そして縛めを解いて自由にしてくれという彼の昂ぶった叫び声は、拍手喝采の響きと同じく、たちまち消え去っていく。こうして先史世界からの訣別にあたって、芸術の享受と手仕事とは別々の道を辿る。この叙事詩はすでに正しい理論を含んでいる。文化財と命令されて行われる労働とは、相互に密接な関連を持っている。そしてこの両者の基礎にあるのは、自然に対する社会的支配への逃げることのできない強制力である。(75頁)

芸術を鑑賞するだけの余裕のある資本のある人間は労働者を自らの手足として利用しながら、自分は安穏とした椅子に座って芸術に耳を傾ける。しかし、それは芸術のもつ本来の危険性を殺いだ、無力化された芸術である。啓蒙によって自己を抑圧することを学ぶことによって、芸術を鑑賞する能力すらも衰える、と彼らは説明する。オデュッセウスと同時に、彼によって耳をふさがれた労働者たちにもその退化は訪れる。そのことを彼らは次のような印象深い言葉で語る。

今日の大衆の退歩は、自分の耳をもって聞えがたいものを聞き、自分の手をもって把えがたいものに触れることができない無能さのうちに現れている。これは大衆眩惑の新しい形態であり、征服された各種の神話的眩惑にとって代るものである。(78-79頁)

また、補論では、オデュッセウスを十分に誘惑することのできなかったあとのセイレーンの運命が推測されている。それはおそらく死だ。謎を解かれたスフィンクスが自殺したように。そしてセイレーンの死は芸術の死でもある。人類は芸術を失ったのだろうか?

幸福にして不幸なオデュッセウスとセイレーンたちとの出会い以来、あらゆる歌謡[リート]は病んでしまった。そして西欧の音楽はすべて、文明における歌声[ゲザンク]の不条理に手を焼いているが、しかし、そういう歌声の不条理こそ同時にまた、あらゆる芸術的音楽のために原動力を与えるものなのである。(127頁)

この記述はいささか謎めいている。果たしてセイレーン死後の音楽は再び力を取り戻すことができるか?

まとめ

以上、『オデュッセイア』にみられる啓蒙と神話の弁証法と、そこに由来する音楽の退廃とについて解説した。アドルノは徹底した大衆文化批判論者として知られるが、その音楽文化論の発想源がセイレーン譚にあることも確認できたはずである。

*1:補論2のサド論は確かずっと読み飛ばしてきているので、実際この本を通読したことがない。

*2:断片形式の採用はベンヤミンジンメル、クラカウアーあたりの系譜なのか?

*3:訳者あとがきによれば本論はホルクハイマーが、オデュッセイア補論はアドルノが主導的役割を果したらしいが、ここでは両名併記する。

オデュッセイア的転回

『イリアス』における運命論的思考
先のエントリでは、『イリアス』に機能している支配的なイデオロギーが「運命」であり、それが戦場においては、死を定められたものとして潔く受け入れる態度として具体化されていることを確認した。その末尾で予告しておいたことだが、『オデュッセイア』ではそれが引き継がれつつも相対化されている。今回のエントリでは、この「オデュッセイア的転回」とは如何なるものかについて論じたい。

英語で言えばOdyssey Turnになるのではないかと思うが、ここでturnの語は示唆的な働きをしてくれている。まさしく『オデュッセイア』は、『イリアス』で戦に明け暮れた英雄が「転回」して、故郷に帰るまでの物語である。戦時中には死を受け入れることが重要な美徳たりうるが、戦後には生を再構築することこそが求められる。両作品に異なる原理が働いているのではないかと考えることは全く妥当なことだろう。

事実、前回の予告をしてから今日までのあいだに一冊の研究書を読み、そこで明快に『イリアス』から『オデュッセイア』への変化が論じられていることを発見した。「オデュッセイア的転回」というのは私の造語だが、それがただの思い付きではなく、専門家のより精緻な読解のなかに居場所を見出すことができたのは幸福なことだと思う。そしてこの本がまた、何とも面白い。

そこで、このエントリでは西村賀子の『ホメロスオデュッセイア』 <戦争>を後にした英雄の歌』(岩波書店、2012)の紹介を主な作業として、オデュッセイア的転回がどのように捉えられているかを理解する。しかし同書は、やはり『オデュッセイア』の世界を魅力的にばかり書きすぎているように思われるので、前回の『イリアス』についてと同じように、最後にそのイデオロギー的性格を指摘したい。まったく野暮な作業だと思うが。

変遷

同書は二部構成からなる。第一部では「書物の旅路」と号して、ホメロスの手になるものとして伝えられてきた作品がどのように文字化され、礼賛あるいは批判されてきたかについての受容史を展開している。先にこちらを瞥見しておこう。以前(『イリアス』を読むためにホメロス作品は西洋的思考の根源であると軽く触れたが、それは間違いではないにせよ複雑さを見落としてしまっていた。

著者の西村は、はじめに二十世紀における『オデュッセイア』受容として、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』やギリシアの詩人ニコス・カザンツァキスの『オジッシア』、またセントルシアの詩人デレク・ウォルコットの『オメロス』『オデュッセイア劇場版』などを取り上げ、今日においても西洋で、またウォルコットの場合は非西洋なのだから、もっと言えば世界中で、成立が紀元前に遡る叙事詩が受け入れられ、翻案されていることを論じている。

それから著者はホメロス作品の成立過程、特に、どの作品がホメロスの真作であり、また本来は口承詩であった叙事詩群がどのように文字化されたかを辿っている。ここにも驚きが溢れている。まず、著者の西村が『イリアス』と『オデュッセイア』を別人の作と考えていること。

こうした[両作の成立年、文構造についての]研究成果を踏まえて近年注目されているのは、『イリアス』の作者とは別の人物が、この記念碑的な叙事詩を意識しながら『オデュッセイア』を創作したという見解である。[...]
別人説につく人々は、『イリアス』の詩人をホメロスと呼び、『オデュッセイア』の作者を「『オデュッセイア』の詩人」と呼ぶ。筆者も別人の手になるという立場に与する。「『オデュッセイア』の詩人」はホメロスをライバル視して新しい歌を作ったという主張もある。しかし、両詩の作者(たち)について確言できることはほとんどないので、「『オデュッセイア』の詩人』の胸中は忖度できない。(50頁)

では本のタイトルが『ホメロスオデュッセイア』 <戦争>を後にした英雄の歌』なのは何故かという疑問が浮かぶが、そこは慣例というか、出版事情も介在しているのだろう。確かに両作を読み比べると、『イリアス』が如何にも生き生きとした比喩によって戦場を描写するのに対して、『オデュッセイア』には比喩が少なく、より散文的な印象を受ける。「劇的で宏壮な『イリアス』はホメロスの全盛期の作品であり、『オデュッセイア』は偉大な才能にも翳りがにじみ出た「沈みゆく太陽」のような晩年の作であると」(49頁)論じている三世紀のロンギヌスの見解も頷けないではない。いっそ別人と考えた方が明快だということもありうる。研究の積み重ねられた今日においてこそ、このような別人説が至極正当な学者にも共有されているわけだ。

また、口承詩理論というのはミルマン・パリーという古典学者の提唱したもので、ホメロスの詩は本来書かれたものではなく、口承によって伝えられたものであるという今日定説化した見解を精緻化したものである。これが所謂「ホメロス問題」に多くの光を投げかけたのだという。というのも「ホメロス問題」とは、ホメロスは実在するのか、ホメロスの作品がどこまでホメロス自身の手になり、どこからが後世の挿入・修正によるものなのかを喧々諤々に議論したもので、とりわけ近代には百五十年ものあいだ分析論(叙事詩に多く現れる反復表現は後代の詩人の不手際によると見做す立場)と統一論(反復は無意味ではなく重要であると見做す立場)の平行線を辿っていたのだという。

ホメロス叙事詩では、「足の速いアキレウス」、「堅忍不抜の勇士オデュッセウス」、「賢明な妃ペネロペイア」のような修飾語が頻繁に用いられる。定型句と呼ばれる決まり文句である。彼[ミルマン・パリー]は定型句と韻律(長短格六脚韻)の関係の精緻な分析から、定型句はつねに韻律上の一定の位置に置かれるという法則を見出し、『イリアス』と『オデュッセイア』は、多くの定型句の広範かつ経済的な組み合わせによって秩序正しく成り立っていると主張した。それらは文字によらない即興的な口承から誕生し、口承をとおして何百年も伝えられ、その過程で淘汰を繰り返しながら成長した。ホメロスという一人の天才詩人の作品ではなく、長い伝統の産物であり、長期的発展の最終的成果が現在のテクストである。(120-121頁)

ホメロス作品がこのように本来は無文字の音声文化から登場したということは、確かに今日の常識であり、もはやそのことに疑いを挟む者もあるまい。しかし驚きなのは、このミルマン・パリーという学者が1902年生まれで、この理論が定説化したのもようやく20世紀になってからだということだ*1。二千年近く、学者たちはこの点について不確かなまま議論してきたわけだ。なんと遅々たる、そして雄大研究史だろう。

また、ホメロス批判が前六世紀というごく早期から噴出していたというのも興味深い。「ホメロスとヘシオドスは人の世で破廉恥とされ/非難の的とされるあらんかぎりのことを神々に行わせた――/盗むこと、姦通すること、互いにだまし合うこと」というのがクセノパネスの詩にあるらしいが、プラトンはじめ、ヘラクレイトスピュタゴラスたちによる道徳的な批判に対して、後にストア学派ネオプラトニズムに影響を及ぼした寓意的解釈説というものも存在するらしい。要するに、一見軽薄なことを語っているようだが、その深層には象徴的意義が存在するのだ、という擁護である。

実際、『オデュッセイア』は寓意的解釈に適した作品である。後に述べるように道徳的教訓が豊かであるばかりでなく、航海の苦難の克服や敵対者との戦いは、人生そのものの比喩にも転じやすいからである。さらに、主人公が浮浪者に変身して偽りの身の上話をする、乞食の素性が王であり、豚飼いが元々は誘拐された王子であるなど、外見と内実のギャップをあぶり出す要素も多い。表面の下に隠された意味の解読が寓話的解釈の神髄であるから、虚と実の差異の明確な『オデュッセイア』はうってつけの素材なのである。(65-66頁)

このような解釈が、また初期キリスト教の時代にも再び現れている。

キリスト教徒にとって、ホメロス叙事詩多神教世界はジレンマの種であった。一神教多神教の融和を図ろうとした初期教父たちは、聖書解釈に古典を取り入れ、ホメロスキリスト教的象徴を読み取った。そのような初期教父たちの一人が、アレクサンドレイアのクレメンス(一五〇-二一五頃)である。彼は帆柱に体を縛りつけてセイレンの誘惑をのがれたオデュッセウスに、十字架上のイエス・キリストとの類似性を認めた(『ギリシア人への勧告』12.118.4)。(95頁)

さらに、ここでは立ち入らないが、中世からルネサンスにかけての解釈史、とりわけ西ヨーロッパ教会がラテン語を、東ヨーロッパ教会がギリシャ語を公用語としてから別々の道を歩み(要するに西ヨーロッパ人にはホメロス原典が中々読めない)、ルネサンスの文芸復興と呼ばれる時代も一筋縄ではいかなかったことの解説なども読み物として興趣あるところだ。ダンテでさえ、ホメロスの名を知っていてもテクストには直接触れていなかったのだという(74頁)。

そしてなによりも今回のエントリにおいて意義深いのは、第一部の末節で二十世紀事情に還ってきた著者が、この世紀に至って『イリアス』と『オデュッセイア』の受容が、『オデュッセイア』の優位に逆転したと述べていることである。

このように[写本数からわかることだが]『イリアス』と比べると古代から影の薄かった『オデュッセイア』だが、形勢が逆転し始めたのは、ほんの一〇〇年ほど前のことである。この転換の記念碑的作品が、第一章で述べたようにジョイスの『ユリシーズ』なのである。十九世紀までの常識では、ホメロスと言えば即ち『イリアス』のことだったが、『ユリシーズ』以降、『オデュッセイア』が叙事詩の模範になったのである。
何がこのような逆転を生んだのだろう。要因はいくつもあるはずだが、注目したいのはヴァンダ・ザイコという研究者の指摘である。彼女によると、第一次世界大戦が転換の契機になったという。
人類初の世界大戦は、戦争についての人々の観念を一変させた、銃や銃剣、大砲などの兵器は、それ以前から戦場で使われていたが、この未曾有の大戦では、より近代的な戦車や飛行機が初めて登場した。催涙ガスや毒ガスなどの、戦争史上初の化学兵器も本格的に投入された。国民総動員体制下で召集され、最前線に送り込まれた兵士たちは、質・量ともに古代の戦さとは比較にならないほど大規模になった近代戦に投げ込まれ、戦死者の数は何百万人にも達した。[...](123-124頁)

伝統的な戦さの在り方を描いた『イリアス』よりも「秩序と平和の回復」に向かう『オデュッセイア』が、より人々の心を掴んだのではないか、という見解である。これこそが古典というべきものだろう。その時代その時代ごとに人々の背後にあって、自らの姿態を変化させながら寄り添っているような。

誉れ

第一部からのピックアップはここまでにしておく。本題であるオデュッセイア的転回について、第二部「言葉の海へ漕ぎ出す」ではどのように論じているか。『オデュッセイア』の幾何学的構成(リング・コンポジションやループ構造)を論じた二章も興味深いが、ここでは特に第四章「<戦争>を後にした英雄」に注目しよう。

オデュッセウスが彷徨の間に捨て去ったものとは、端的には、戦時の行動を支える理念である。それなしには戦うことができない行動規範、戦士の内面に深く浸透している既成観念である。ここではそれをイリアス』的価値観と仮に呼ぶことにする。戦場の行動理念がそこに描かれているからである。ただ誤解を招かないようにお断りしておくが、『イリアス』は戦争賛美の書ではない。むしろ、戦争がもたらす深い悲哀を歌う詩である。それでもあえて『イリアス』的価値観と呼ぶのは、戦争を生き延びるのに不可欠な価値観がそこに描かれているからである。極限状況下で戦うには、精神的な拠り所が必要になる。それは、「誉れ、名誉」の意のκλέος(kleosクレオス)という言葉で表現される。(203頁)

オデュッセイア』では、10年にわたるトロイア戦争終結に導いたオデュッセウスが、祖国イタケへ帰国しようとしたものの、海の神ポセイドンの怒りを買って諸国を放浪し、また10年ものあいだカリュプソという女神に留め置かれ、望郷に焦がれる姿が前半で描かれている。その間にも祖国では残された妻ペネロペイアが乱暴な求婚者たちによって苦しめられ、息子テレマコスは父の生死を案じて旅に出る。後半になって女神の力で変身した姿で帰国したオデュッセウスは、息子との再会の喜びも押し隠して、留守中の狼藉を目の当たりにして、復讐をひそかに練り上げる。そして息子や忠臣と協力して求婚者たち・裏切り者の女中・下男たちを誅殺して、祖国の秩序を回復する。

(1)『イリアス』と『オデュッセイア』の相違として私がまず指摘しておきたいのは、『オデュッセイア』がより人間中心的な世界になっているということである。前者において戦闘の勝敗を決したのは、各将の力量もさることながら、神の加護の有無であり、神に対する感謝の奉献であった。ディオメデスが無双状態になったのはアテネの助力によるものであり、そもそもトロイア戦争の勝敗はすべてゼウスの采配に委ねられていた。

後者において、神の存在感が抹消されているというわけではない。ゼウスの合議によってオデュッセウスの帰国が決定され、そもそもオデュッセウスが経巡るギリシア世界の歓待的秩序全体を統べるものこそゼウスであるということがテクストの端々に現れている。アテネの加護は彼を見守り、終幕における平和状態の樹立は彼女の命令によって確実なものになる。だがいっぽうでカリュプソやポセイドンといった邪魔立てする神々がいることもまた事実であり、それに打ち克つのはオデュッセウスの知恵であり勇気である。つまり次のようなことが言える。作品の主題は、神々の定めた「運命」にあるのではなく、個人がそれを選び守り抜く「意志」にあるのだ、と。

(2)また、以前のエントリで論じていたルカーチ叙事詩/小説の区分で言えば、『オデュッセイア』は小説へのはるかに大きな一歩を踏み出していると言える。王の不在による祖国の不調和を、冒険譚という筋立てを用いながら、再構築へと修復していく同作は、確かに秩序の回復が描かれている点で「しあわせ」ではあるものの、オデュッセウスの旅路には「歩むべき地図」もなく、彼が匿名の変身姿でひとを騙す姿は、「本質なき生」を暗示するものでさえある。

(3)そしてなにより、ここで西村氏の著書に戻るが、死についての見方さえも変化を余儀なくされている。既に述べたように、『オデュッセイア』は戦後に荒廃した祖国を再構築する物語であるからだ。戦後10年という歳月はこの変化を極端に強調しているが、そのことが最もありありと伝わるのが冥府のエピソードである。

アカイア方の総大将としてあれほど傲慢にあれほど威勢よく自らを飾りたてていたアガメムノンは、トロイエ戦争では命を落とさなかったものの、祖国に帰国するや否や、妻とその愛人アイギストスに暗殺されてしまう。英雄の哀れ! 戦争においてあれほど栄華をきわめていた男も、死んでしまえば何も残されはしない。また『イリアス』の主役であったアキレウスは予言通り戦争中に殺されている。以前のエントリでは、死を待ち受け、受け入れ、乗り越えることこそ『イリアス』の美徳であると述べたが、確かに彼は名誉を得たといえる。アキレウスアガメムノンに次のように語りかける。

あなたは[...]トロイエの国で死を迎えて果てる方が、どれほどよかったか判らぬ。さすればアカイア全軍が、あなたのために墓を築いたであろうし、あなたも御子息のために、後々まで大いなる誉れ(κλέος)を残してやれたであろうものを。

さりとてアキレウスといえども、昏い冥府でなすこともなく、現世での栄光にすがる姿は英雄に相応しからぬものを感じさせる。彼はまた次のように言うのである。

世を去った死人全員の王となって君臨するよりも、むしろ地上にあって、どこかの、土地の割当ても受けられず、資産も乏しい男にでも傭われて仕えたい気持ちだ。

この箇所について西村氏はこう注釈している。

この言葉からは、どんなに悲惨な生でも死よりは尊いというメッセージが伝わってくる。『イリアス』で長寿よりも戦場での死を選択した人物の発現であるだけに、他の誰よりも雄弁に、生の重みを訴えかける。オデュッセウスは絶望のあまり自死を考えたこともあったが(10.49-50)、冥界訪問後の主人公は激しい嵐に翻弄されても必死で「死を逃れよう」とし(5.326)、あえて苦難に耐えようとした(5.362)。彼の不退転の決意は、死者たちによって固められたのである。(176頁)

それゆえ、『オデュッセイア』は、その最も印象的な個所である冥府降りにおいて、『イリアス』的な価値観に真っ向から挑戦している。それは英雄崇拝であり、同じことだが、死を我が定めとして受け入れる態度である。それに代わって『オデュッセイア』が自らの価値として打ち立てようとしている誉れ観は、生き残り、故郷に帰り、再び平和と安寧を回復すること、これだろう。

そこからの分析で、ペネロペイアが旧来の『イリアス』的価値観を引きずっていること、セイレンの歌声が魅力は「『オデュッセイア』の主人公を『イリアス』の世界に引き戻そうとする力」(214頁)にあること、パイエケスの楽人によって初めてオデュッセウスが戦争の「悲嘆」(218頁)を感じ取ったことを説得的に論証してゆく本書は、オデュッセウス的転回」こそが作品全体のおおきな螺旋回しになっているのだということを論証しているのである。

本書の副題は「<戦争>を後にした英雄」で、これは水林章の『カンディード <戦争>を前にした青年』(みすず書房、2005)を踏まえてのものらしいが、西村氏はそこで水林氏がヴォルテールの『カンディード』をroman de désapprentissage(反-教養小説学びほぐしの小説)と称しているのを以て、オデュッセウスの旅路もやはりこのデザプランティサージュなのだという。戦争によって学んだ、というよりも学ぶことを余儀なくされた価値観、ひとを殺し、自らの死を受け入れることこそが誉れであった価値観を、少しずつ学びほぐしてゆく物語なのである、と。

秩序の回復?

オデュッセイア』はこの点確かに戦後の荒廃からの復興を歌う、癒しにも似た叙事詩である。しかしながら、ここからは完全に拙見であるが、以前のエントリの註2で示唆しておいたように、『オデュッセイア』もまたイデオロギー的な統治術に役立てられうるのではないかということを論じたい。

オデュッセイア』が奸計に長けた智将オデュッセウスの冒険を主題とする「個」の物語であることは既に述べた。もちろん彼の旅程には配下の仲間たちがいたが、彼らはオデュッセウスの失策あるいは彼ら自身の粗相によって全滅する*2。それゆえオデュッセウスは旅路の果てに単独者としての自己を見出す。アドルノ/ホルクハイマーはまた『啓蒙の弁証法』でセイレン譚を取り上げ、オデュッセウスを「自己保存的理性」(岩波文庫、132頁)と呼んでいる*3。彼はどこまでも「個」なのである。

にもかかわらず秩序の回復、平和と安寧の再興という物語形式は、個を共同体へと再吸収してゆく。ここでもやはり西村氏の見解を借りよう。彼女は、求婚者たちの誅殺でひとまず物語上の完結を見たはずの『オデュッセイア』が、どうして蛇足とも言うべき一章を加えて、そこでオデュッセウスとその父ラエルテスとの再会による、親子三代の邂逅を描いたのか、と問う。結論を言えば、これは物語構造上必要不可欠なのだ、ということになる。

家父長制社会では、父と息子のつながりは他の何にもまして重要である。オデュッセウスには、息子が一人しかない。そして彼自身も、一人息子である。老父が田舎で質素な隠遁生活を送るのは、息子が長く帰国しないことへの絶望からであった。ラエルテスがなぜそれほどにも嘆くのか、現代人には理解しがたいが、家父長制家族における息子の重要性によって彼の悲嘆は説明がつくだろう。
「夫と妻」だけではなく「父と子」も含めた「家族」(厳密には家父長制家族)が、『オデュッセイア』では重視される。社会の基本的最小単位としての家族の回復と社会秩序の回復は、この詩篇では等価である。そして「父と子」のテーマは、全篇の最初と最後をつなぐ架け橋として機能する。主人公と父が再開し、父とともに戦うことによって初めて、物語は完結するのである。(151頁)

個と社会、個と共同体を結ぶのは、家族という社会の基本的最小単位である。それゆえ次のように言っておこう。オデュッセイア』の基本イデオロギーは、家族であり、家父長制である

運命と死によって共同体の秩序のなかに投げ入れられた人々は、戦後の荒廃と回復されない秩序のなかで、自らの拠り所を失ってしまう。約束されていたはずの誉れでさえも、十分に与えられたものとは思えない。この答えのないかのように思われる疑問――この問いこそ「小説」の初めの深淵なのだが――に対して、家族の再結集と再生産秩序の回復が回答している。それが『オデュッセイア』である。そしてそれが、再び共同体のなかに人間を投げ入れることによって、次に来たるべき戦争の準備をさせるものであることは、疑いえないことのように思える。

それゆえ、ここまでのところは『オデュッセイア』を『イリアス』的価値観への挑戦、相対化、あるいは転倒であると述べたが、考えを改める必要がある。両作品は、実は相補的に、戦時下では死と栄光のなかに、戦後には生と再生産のなかに、つまりは共同体のなかに、人を転がし入れつつげる。人の世の円環がここには表現されているのである。

このことはまた、何故二十世紀に『オデュッセイア』が受け入れられたかについての説明を補うものでもある。20世紀は、既成の共同体が崩壊に瀕し、根を奪われた人々が新たな秩序の再建を求めて悪戦苦闘した時代でもあった。それに第一次世界大戦が寄与していることは、たとえばバンジャマン・クレミューの『不安と再建』が証言してくれているが、もはやそれは一世紀を覆い尽くす現象なのである。そのような時代に、『オデュッセイア』は一つのモデルを提供してくれるに違いない。とりわけジェイムズ・ジョイスのような作家は、『オデュッセイア』を種本としながら、被植民地としてのアイルランドを舞台に、独立と秩序の再建をめぐる苦悩を小説世界に描き込んだ。

家族制度、あるいは家父長制は、国家主義イデオロギーに相通ずるものとしてながらく批判の的とされてきた。しかしそれを批判すれば危険から免れうると考えるのは、批判者たちの思い上がりというものである。共同体、およびイデオロギーとは、どうしても付き合っていかねばならないものであり、古典はそれとの付き合い方を示唆する教科書でもあるだろう。

*1:ついでに言うと没年は1935年。33歳の夭逝というのも驚きだが、これは事故的な銃撃による死らしい。銃社会アメリカ。

*2:放浪回顧談は「亡くなった仲間たちへの鎮魂歌ではないか」(192頁)とする西村氏の見解には大いに賛同できる。

*3:この点について後日補足した。「アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』と『オデュッセイア』」

忘却の余滴 『HIROSHIMA1958』と『愛の小さな歴史』

前回のエントリではアラン・レネ監督、マルグリット・デュラス脚本の映画『二十四時間の情事』(原題:Hiroshima Mon Amour)について書いた。1959年6月に公開された映画の撮影のためにアラン・レネが日本を訪れたのはその前の年、1958年7月のこと*1。原爆の投下からは既に十余年の歳月が経過していることになるが、核兵器への世相的関心は当時必ずしも低くなかったと思われる。そもそも原爆投下について公の議論をするには、52年のサンフランシスコ平和条約発効による日本の主権回復を待たねばならず*2、53年にはアイゼンハワーが有名な平和のための原子力のための演説を行うが、54年のビキニ環礁における水爆実験が引き金となり55年に広島で原水爆禁止世界大会が開かれている。一方58年の4月には広島復興大博覧会が開催され、広島市人口の戦前の水準回復が祝われた。経済成長へと着実に歩みを進めようとする最中にも、歴史を忘れるなという声は響く。そんな微妙な時代の痕跡が映画には刻印されており、たとえば映画の第三部で私たちが目の当たりにする反核平和デモ運動はその一つである。
この58年という年からまさに五十年後、2008年に、広島をはじめとしたいくつかの都市で、写真展が開かれていた。映画の主演女優エマニュエル・リヴァの手になる写真が港千尋多摩美大教授によって偶然(か奇蹟か誰かの思し召しか)発見され、それが公開されたのだ。

HIROSHIMA 1958

HIROSHIMA 1958

ごく私的に撮影された白黒の写真群からは、何と言うことはないけれど、素朴な温かみが、まるで現像されたばかりの写真のように伝わってくる。刊行された写真集の表紙(上画像)もそうだが、子供たちを被写体にしたものが多く、かつ印象深い。彼らはみな笑顔で、落ち着いていて、そのことはちょっと不思議な気分にさせる。彼らはカメラマンのフランス人女性が怖くなかったのだろうか? 日本語を喋れない人物がカメラを向けてきたら、私はけっこう怖い気がする。まあ、ヒロシマではそういうことも日常茶飯事だったのかもしれない。リヴァの優しげな雰囲気にも負うところがあったろう。
写真の発見者である港千尋は、写真展の翌年にエッセイ『愛の小さな歴史』を刊行している。
愛の小さな歴史

愛の小さな歴史

とても刺激的で、どきどきしながら読んだ。
本論である「愛の小さな歴史」(前後は見開き一枚の詩的散文「掌の夜」「カメラとコーヒーカップ」に挟まれている)は五部構成からなる200頁程度の論考である。五部というこの構成は、『二十四時間の情事』が五部構成からなっているのと必ずしも無関係ではあるまい。リヴァが昼ひなかの歴史が語られる「記憶の街」から夜の「忘却の街」へと歩みを進めていくように、本書も、発見された写真の足跡を辿る旅を基調としつつ、写真の歴史、復興の歴史から、死とその瞬間についての思弁的な奈落へと進んでゆく。そして前回のエントリで『二十四時間の情事』の構成について分析したように、第五部では出会いの瞬間が描かれることになるだろう。
私の前回のエントリはたいへん読みにくく不十分なところが多かったが、本書は『二十四時間の情事』について卓見が収められているのみならず、より本質的な議論にまで、読みやすく(四部は少し難しいが)書かれている。是非おすすめしたい。
このエントリは、したがって、この本を讃え、あやかるために書かれている。特に第二部の写真論の内容を解説することになるが、際立って考察を挟むわけではなく、あくまで気になった箇所の紹介である。雑文的に、気安く話を進めたい。

写真の眼差し

わたしたちが、これから映画と写真を対象に行おうとするイメージの探求では、イメージを、目の前に存在するモノとして眺めるのではなく、その形成から分配、所有あるいは消滅までを、人間の経験として考えるという立場をとる。したがってここでは、「見る」ということはいったいどういう経験であるのか、という問いも出てくる。わたしたちは日常的な経験として、昔の写真を見て懐かしがり、あるいはそこに過ぎし日の面影を発見して郷愁を感じる。だが写真に写っている人間をそれとして認知するということは、それほど自明でもないことが、本書でも考察されるだろう。(10頁)

「見る」という体制、構え、視覚的制度は、自明にして不変のものとして存在するのではない。にもかかわらずそれは学ばれると同時にそれ以前の歴史を隠蔽してしまう。なにもエジプト人の美術観と現代人のそれの違い、というような遠大な比較にまで乗り出さずとも、十年前の漫画の質や技法、テレビの画質を持ち出せば、当時は何とも思わず鑑賞していたはずなのに、今日見返せばどこか不自然なものに思えてならないことに気付かされる。単に技術が進歩したというのではない。問われるべきは、我々自身の構えである。
歴史を紐解けば、この変化(あるいは断絶)が「見る」という経験に如何に浸透しているかがわかるというものだ。たとえば写真を認識するという経験。写真のなかの自分を認識するという経験は、鏡のなかの自分を認識するという経験とどれくらい異なるだろうか? 後者にしてからが既に自明なものではない*3が、自分の動作と連動して動く鏡像に対して、写真は既に紙に焼き付けられたものであり、用紙がどれほど経年劣化しても肖像それ自体は老いることがないという点において、なおさら私たちに遠い。それは固定的で、時間を奪われ、永遠の一瞬間を生き続けているように思われる。要するに、そこに写っているのが自分であれ他者であれ、写真は現実とは異なる時空間に存在するものではないのか?
この、上の引用にもある「写真に写っている人間をそれとして認知するということが、それほど自明でもないこと」を積極的に取り沙汰したのは、ドイツのジャーナリストであり社会学者のジークフリート・クラカウアー(1889-1966)であった。彼の提起をパラフレーズすれば、「写真ははたして真実を写しているのか?」というものになるだろう。ここでいう真実とは、きわめて人間的な真実であって、記憶の証言や証拠としての真実というくらいの意味である。この問いに対してクラカウアーは否定的である。どんな写真も、確かにその一瞬間を切り取り、枠づけてはいるが、それが私たちの曖昧な記憶と一致する保証はない。「肖像写真も彼[クラカウアー]にとっては、心のなかに留められているはずのイメージの頼りなさを逆説的に証明するものでしかない。心の像は写真とは違って、空間のなかに確固とした結びつきがないからである。」(77頁)
1927年のエッセイのなかでクラカウアーはこのように写真と記憶の結び付きを否定している。そして、記憶および人間の時間意識が常に死を意識しているのに対して、写真はそこから逃れようとすることを批判している。

若き日の彼にとって写真とは、記憶のなかに入り込んでこようとする死の想起を追い払うために、「写真を山のように積み上げる」ものだった。あらゆるものを撮影しながら、撮影された現在は永遠化されている。こうして「世界は死から逃れたかにみえる」。しかし逆に「実際は死に委ねられているのだ」。(96頁)

人間は死を恐れ、永遠に憧れることが間々ある。肖像画を残すという行為は、自己の面影と栄華を永遠の芸術に昇華させたいという願望の表れであろう。クラカウアーは写真をそのようなものとして捉えている。写真を撮るという行為は、永遠への飽くなき、不毛な営為の一種である、とでも言うように。
ところが著者がイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグ(1939-)の見解として引いているのは、クラカウアーの「転向」である。つまり、写真と記憶との和解、写真が死から逃れるためではなく、死を見つめるための媒体でありうるという見解への移行が果たされたとする。その転向は戦後に起きたものだとされるが、ギンズブルグがその要因として挙げているのは、なんとヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)とのやりとりであり、彼に紹介されたプルーストの写真観である。

ヴァルター・ベンヤミン

クラカウアーは一九四〇年、マルセイユアメリカ合衆国への亡命を準備していた。プルーストについての言及はまずアメリカで一九六〇年に出版された『映画の理論』に現れるが、その省察マルセイユで始まったものだった。
そのマルセイユでクラカウアーはヴァルター・ベンヤミンに会って、映画にかんする彼の計画を話し合ったことがわかっている。ギンズブルグは、このときにベンヤミンが、プルーストの件の箇所について友人の注意をうながしたのではないかと推測するのである。(96頁)

件の箇所というのは、プルーストの小説『失われた時を求めて』の語り手が予告せずに祖母を訪れ、そのときの祖母のすがたが、普段の親密な様子とは懸け離れたものであったときの感覚を語っているところで、「私が祖母の姿を認めたこのときに、私の目の中に機械的に写されたのは、なるほど一枚の写真であった。」(95頁『失われた時を求めて』孫引)と結ばれている。この瞬間の情愛や感情を欠いた祖母のすがたは死者と見紛うようなもので、ここでの語り手はその無機的な眼差しを写真の眼差しと比喩的に言っているのである。
失われた時を求めて』のドイツ語訳を試みていたベンヤミンは、じっさい数年前にこの箇所を翻訳しており、ここから写真とは「やがて来ることになるもの」である死をそこに写し出すものだと考えるようになったらしい。このような考えをベンヤミンはクラカウアーに伝え、クラカウアーもまた写真が写し出す死を信じるようになったのではないか? そのように推察されている。
クラカウアーとベンヤミンの態度の違いを、整理し直してみよう。クラカウアーはいささか主意的に思われる。記憶の可動性に対して写真は硬直的で、人間の生を十分に写し出さない。ひとは時間のなかで生を生き死を想うものであるにもかかわらず、写真は死から逃れようとしており、実存的な意識からの逃避である。というように。それに対してベンヤミンは、意識の限界を定め、写真のなかに、意識からの逃避というよりも、より豊かな無意識の領域を見出そうとしている。プルーストの語り手が一種の異邦人として祖母宅を訪れたときに驚きとともに目撃した死の空間と同様に、写真のなかには普段の生とは異なる空間が拡がっており、そこに驚かされてしまう。

画面の目立たない箇所には、やがて来ることになるものが、とうに過ぎ去ってしまったあの撮影のときの一分間のありようのなかに、今日でもなお、まことに雄弁に宿っている。だから私たちは、その来ることになるものを、回顧を通じて発見できるのである。眺める者は、この目立たない箇所を発見せずにはいられない。カメラに語りかける自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次の点においてである。人間によって意識を織り込まれた空間の代わりに、無意識が織り込まれた空間が立ち現れるのである。(97頁『写真小史』孫引き)

普通私たちがぼんやりとした意識とともに捉える世界は、心理学でいうところの選好的な注視によって構成されており、脳内に記憶されるものはごく一部に過ぎない。ところが、フロイトが意識と無意識の関係について提起したように、その背後にははるかに豊かな無意識の領域が存在しているのである。写真は撮影者が焦点をあわせたもの以外もすべてその空間内に収めてしまうために、「目立たない箇所」に雄弁な何かが隠れている。それゆえ写真による想起とは既知の事実というよりも、未知の体験に属するのである。
議論は既に、「私たちは写真のイメージに現実を認めることができるか?」という問いから、「写真のイメージの異質性をどのように引き受けるべきか?」という問いへと移行しているように思われる。そしてその異質さは、細部に、本当にごく目立たない箇所においてこそ引き立てられるのだ。写真の真実は、非人間的、非意志的な真実である。

小さな歴史

掬い上げる掌からこぼれてゆくいとけなきものにこそ、より広大な神秘が隠れている。このような考え方は、歴史についてのベンヤミンの見方にまで通底している。大きな歴史物語すなわち勝者たちの歴史において語られなかったものども――小さな歴史、敗残者たち、落伍者たち――への彼の優しい眼差しは、写真を眺めるとき、細部をなぞり、愛撫するのだ。
ベンヤミンのこのような写真観を紹介しながら、著者の港千尋が(やはりギンズブルグ的な歴史観として)紹介し、表題にまでしているのが「小さな歴史(マイクロヒストリー、ミクロイストワール)」である。それは文字通り、ごく目立たない歴史であり、声を奪われたひとたちの歴史である。『二十四時間の情事』は、語られざる戦争をテーマにしつつ、その実不倫恋愛の話しかしていないという点で「小さな歴史」の好例である。歴史の舞台が如何にも肥大化してゆき、水爆を数発落とせば人類が地球が全滅するということがまことしやかに語られるようになった時代に、微小な愛の物語に注目するのは何故か?

科学技術の圧倒的な力を背景にして、あらゆることが計算に基づき巨視的に語られる時代に、あえて人間の微細な次元へ焦点を合わせてゆく精神の働きは、時代にたいする抵抗の一歩と言ってもいいかもしれない。たとえばジョヴァンニ・レーヴィの著作『村の権力』のフランス語訳に序文を寄せたジャック・ルヴェルはそれを「地べたの歴史」と表現した(「ミクロストリア」註三五参照)(91頁)

そしてまた次のような一節。

ヒロシマで出会った男と女の「小さな物語」が、同じ時代の歴史研究や文学のあいだに同時多発的に現れた「小さな物語」と接触するのは、この[徴候、痕跡に対する]感覚ではないかと思われる。もしそうならば、「時代精神」ではなく、「時代感覚」と呼ぶほうがいいだろう。ただしそれは受身の感覚ではない。微細な現象を用いるには、動物の痕跡を読み解く狩人がそうであるように、なによりもまず観察する力が必要である。ものごとをよく見ること、よく気づくこと。この点において、『ヒロシマ・モナムール』は「見ること」の限界を描きながら、同時に「よく見ること」の大切さを教えている。(93頁)

はじめに述べたように、制度的な学習訓練は、習得と同時にその外部を閉ざし、起源を隠蔽してしまう。それゆえ、それに対する抵抗もまた、容易になされるわけではなく、習得されねばならないのだろう。メディアは、いっぽうでは「見る」ことを忘れさせる力を有しているように、たほうでは、「見る」ことを学ばさせる力を併せ持っている。芸術のあるべき姿とはそのようなものではないか。対象を眺めさせるのではなく、対象の眺め方、その構えを問いに付すことこそ。
二十四時間の情事』の視座が、ベンヤミン省察やギンズブルクら同時代の歴史観とリンクさせられながら、「写真の使命」あるいは「映画の使命」を明らかにしてゆく様をこれまで見てきた。そしてもちろんそれは『HIROSHIMA 1958』におけるエマニュエル・リヴァの写真の眼差しでもある。
「いとおしい」あるいは「いつくしみ」という言葉のもつt音やk音やs音の響きが、何よりも適切にこの眼差しの音楽を説明してくれるだろう。そして私は、この音楽のなかに『愛の小さな歴史』を喜んで加えたいと思っている。AINO-TISANA-REKISHI

*1:ちなみに物語自体はデュラスの指示によれば57年の出来事ということになるが、これは実際のシナリオとは矛盾を来すらしい。「シナリオに従うならば、映画で描かれる一日は、一九五七年ではなく一九五九年、すなわち映画が完成した年になる。フランス人の女性の年齢もまた、三十二歳ではなく三十四歳が正しい。」『愛の小さな歴史』48頁

*2:アサヒグラフ』が原爆被害についての写真公開をしたのは52年8月6日号(参考リンク)。とはいえ、ジョン・ハーシーの『ヒロシマ』は46年にいち早く出版され、日本にも49年には翻訳されていたというから、その惨禍はむろん伝えられていたろう

*3:たとえばジャック・ラカン鏡像段階論。「見る」ことの歴史性についての重要な指摘。

『二十四時間の情事Hiroshima mon amour』と朝が来るまで終わる事の無いダンスを。


夢遊病的な描写が目立つことに気付かれるのではないか。
この映画は「」を描いた映画、ヒロシマは彼女の夢の舞台、そのような前提でもって話を始めてみたい。
ここで「夢」というとき、その特徴として私が考えているのは、諸事物の厳密な境界の揺らぎと、世界に対する夢見る主体の「気分」の支配性である。そのことは、夢の世界が彼または彼女の意のままに動くということを必ずしも意味しない。むしろ、夢見る主体はそこで翻弄され、にもかかわらずそれが彼ら自身の見ている夢に他ならない、という事実を突きつけられる。そこにはしばしば、「望まれざる願望」が現れることだろう。
このエントリは、「夢判断」「手」「対話」「誤解」「回帰」「治癒」「再生」というセクションからなる。まず、この映画の描く夢の世界について説明して、「手」の重要性を論じる。それから本作を構成する対話の位相、とりわけそれが相互を誤認することによって演じられ、にもかかわらず最終的にはお互いを認識するようになるメカニズムを、ラカン精神分析を援用して理解する。結果として、かなり堅苦しく、抽象的なものになってしまった気もするが、これ以上はどうしようもない。

夢判断

前時代のいくらか夢にかかわる映画に『カリガリ博士』(1920)がある。

表現主義の傑作とされ、誇大妄想狂的な博士が外を出歩くときに彼の思考や心理が外景に投射されるシーンは殊に有名である(上画像)。歪んだ建物、歪んだ世界は作品全体が醸し出す不安を反映(表現ex-pression)している。境界の揺らぎ、気分の支配という、夢に特徴的な事態の現出。
フランス人の女優(役名無し。以下演者の名からエマニュエル・リヴァと呼ぶ)が、映画館やアーケード街の立ち並ぶ真夜中のヒロシマを徘徊するとき(1:11:00〜*1)、私たちはいささかそれに類するものを見出す。たとえ建物が歪むことはないにしても、様々なアングルから捉えられることによって、市街地の在り方は決して固定的にならない。G.フスコの音楽もまた不安げな雰囲気を盛り立てるだろう。ところが、看板・ネオンに踊るのは日本語文字列である。つまり、ヒロシマという世界は彼女の心理表現でありながら、同時に彼女には読み取り得ない記号で書かれていることになる。

夢に関する論者、たとえばルードヴィヒ・ビンスワンガー(1881-1966)は、夢の世界はどれほど荒唐無稽であっても夢見る主体の表現する世界なのだと考える。そうした見解を受け入れれば、彼女の内面は、彼女自身にも理解不可能な記号から構成されている、と言えよう。本来一つのものであるはずのものが二つに分割され、内面世界はヌヴェール、外界はヒロシマと名付けられた。物語の時制である1958年ヒロシマの景色は、1945年前後にリヴァが青春を過ごし初恋を知りそして奪われた土地、ヌヴェールと重ね合わせながら展開される。ヌヴェールの「真実」がぽつぽつと語り明かされるにしたがって、観客は、この小さな愛の物語を通して、ヒロシマにおける十万の語られざる物語に接近することができる。いずれ私たちは、その出会いの瞬間に立ち会うことになるだろう。
しかし、その出会いは必ずしもスムーズに行くわけではない。「言葉や身体を交えることによって、彼らはお互いを理解し合い、癒し合った。」そのような解釈に満足しては、この映画を捉え損なうだろうし、映画のラストで置き去りにされてしまう。そもそもにしてからがヒロシマ/ヌヴェールに別々のカメラマン(サシャ・ヴィエルニ/高橋通夫)を手配して、互いに交流させることなく編集された本作は、異なる作法で制作された二つの作品をモンタージュしたものと言ってよい。そしてそのことは、ヒロシマ/ヌヴェールのむしろ徹底的な差異をこそ露わにするのではないか。

夢についての言及は男女の最初の情事のあと、まだ眠っている男(同じく役名無し。以下岡田英次と呼ぶ)を和装したリヴァが眺めるシーンに示唆的に現れる(0:18:00〜)。

Elle : A quoi tu rêvais?
Lui : Je ne sais plus... Pourquoi?
Elle : Je regaidais tes mains. Elles bougent quand tu dors.
Lui : C'est quand on rêve, peut-être, sans le savoir.
彼女:何の夢を見てたの?
彼:わからないな……どうして?
彼女:手を見てたのよ。寝てるときに動いてたわ。
彼:寝てるときには、それと知らずに動いてるのさ、きっと。*2

手の動きに注目しろ、という明白なメッセージ。「理性的なraisonnbale」(この語は映画のキーポイントで発せられる)人間は、かくあるために平生から多くの欲望を抑圧しながら日常の生を営むが、抑圧が適切に機能しない場合、それが再浮上するということがありうる。それを精神分析の文脈では「抑圧されたものの回帰」というが、このとき、抑圧されたエネルギーがそのままのかたちで現れるということは滅多にない。芸術や夢、神経症といった類は、かかる欲望の加工された表現であり、手の動きは抑圧の存在を示す神経症的メッセージである。
とはいえ、ここでは岡田の手に注目するよりは*3、その動きにかつての恋人、ヌヴェールのドイツ人を重ね見てしまう、リヴァ、彼女自身の手への注意を促す。彼女の手は常に自己の存在を主張してやまない。たとえば、地下室に閉じこめられ、壁をかきむしり続けることで血を流し、その血をあなた(死んだドイツ人)の血と混同することで、痛みのなかに彼と苦しみを分かち合うという慰めを得るリヴァ。その次のショットで彼女がアルコールの入ったグラスを掴むとき、彼女の手は美しい(0:45:10〜)。あるいは、ドイツ人と交際していた自分が同胞たちに戒めとして剃髪されたこと*4を告白したあとのリヴァ。硬直したまま震える彼女の手は、岡田が握りしめることでようやく収まる(0:53:07〜)。これらに明らかなことだが、リヴァの手は、ただ彼女の苦しみを物語るに留まらない。彼女には経験することのできないドイツ人男性の死(「いつのこと? もうはっきりとはわからない*5」(0:56:38〜)と彼女は言う。)を、せめてその痛みや苦しみを分有するというかたちで留めておきたい。そんな彼女自身の強靭な意志を、彼女の手が請け負っているのである。「手のことでさえ、よく覚えていない。苦しみのことは、まだ少し覚えている*6」と彼女は言う。覚えているのは、その忘れられた手なのだ。
映画『インセプション』(2010)は、他人の夢のなかに潜り込む技術が存在する世界を描いているが、潜入者自身が夢の世界を現実のそれと混同しないように、本人にだけそれとわかるトーテムを持ち運ぶことになっている(ディカプリオ演じるドムなら、駒を持っていて、それが永遠に回転し続けるときは夢だとわかる)。リヴァの手はそのトーテムのようなもので、夢の世界(「ヒロシマでは、夜が決して終わらないのね*7」(1:02:32〜))においてもその震えによって、その世界が夢だと発信し続ける。とはいえ、リヴァ自身はそのトーテムに気づきえない。手はひたすらに彼女を導くだけで、それがどこへ向かうのかも彼女にはわからない。そして手はつながりの相手を求めているのだ。それを握ったのは岡田だった。

対話

今更だが、この映画についてどのように理解すればよいだろうか? あらすじだけ追えば、1958年、ヒロシマを訪れたフランス人女優が、建築家の男性を知り、愛する。お互い家庭を持っているから、これは不倫である。彼女は一日を待たずに帰国せねばならないが、二人の離れがたさは募るばかりだ。お互いを語るうちに、彼は、彼女が終戦前後にヌヴェールでドイツ人の恋人を亡くしており、またその愛がもとで対独協力者として幽閉されていたことを知る。夜も更け、女はヒロシマを徘徊し、男は後を追ってヒロシマに留まるよう説得を試みるが、叶わない。混迷が頂点を極めたあとに、女は男を"HIROSHIMA"と呼び、女は男を"NEVERS"と呼ぶ。映画は終わる。
一般に言われているように、この映画は上記のようにヒロシマを舞台としながら、ヒロシマそして原爆を主題としているとは思い難いところがある。(この意味で「平和についてでなければ、ヒロシマで映画を撮ったりしないでしょう?*8」というリヴァの言葉はいささかアイロニックな自己言及である)。男女の関係、それも不倫を題材とする本作は、冒涜的にすら思える。だが、本作の脚本を担当したM.デュラスに言わせれば、「真に冒涜的なのは――冒涜などというものがあるとすればだが−−それはヒロシマそれ自体*9」である。
まず容易な解釈として、この映画は、ヒロシマについて語るために、敢えてヌヴェールのトラウマを語り、そこから逆照射してヒロシマを語ろうとしている、あるいはその語り得なさを語ろうとしているのだ、という意図を汲みとることができる。岡田とドイツ人(ふたりはしばしば混同される)、太田川とロワール川、原爆被害者たちの渇きリヴァの渇き、白ネコ黒ネコ、という対照群は、ヒロシマ-ヌヴェールのつながりを示唆し、リヴァという一個人の悲恋が、ヒロシマの原爆という十万以上の苦しみに通じてゆく。ここでの対照を矮小化ということはできないし、許されもしないだろう。原爆を集団的政治的問題として捉えることだけが、そこに触れる手段ではない。小さな愛の苦しみ、それだけが世界の痛みや苦しみ、あるいは怒りを表現するための手段になることもありうるのだ。
とはいえ、確かにこの対照が、そしてヒロシマ-ヌヴェールの出会いが映画の核心であるにせよ、その出会いの内実について深く立ち入ることなしには、私たちはヒロシマについてもヌヴェールについても知ることができない。この映画は、ヒロシマとヌヴェールという異なる地にいた者同士が、出会い、互いの過去(岡田は自分の過去を殆ど語らない。家族が原爆で死んだことを除けば)を知り、同じような苦しみを抱えたもの同士が対話によって癒されていく、といった物語を形成しない。そういうことを私は信じない。「同じような苦しみ」といったものは存在しない。他人の痛みは、知るということも比べるということもない。そのようなレベルでの「対照」は存在しない。このことを考えてみたい。

誤解

余りにも有名な「君はヒロシマで何も見ていない 何もTu n'as rien vu à Hiroshima. Rien.」「私はすべてを見たわ すべてをJ'ai tout vu. Tout.」というやりとりから始まるこの映画は、初めから決定的な差異、共通認識の不在を打ち出す。ところが、あたかも歴史認識論争の如き様相を呈する二人のギャップは、映画の進行上少しずつ薄らいでいくようにも思われる。一連のシークエンスの終りに恋人たちの笑いが響いてから(0:14:40〜)は、二人の間柄もそれまでの緊張感を解いて親密さを増す一方に見受けられるし、彼女がヌヴェール体験を語り出すと、岡田は精神分析家のように「喋りなさい、もっと"parle, parle encore"」と彼女の言葉を促し、引き出してゆく。
では、彼女を過去の呪縛から解放したのは彼だろうか? それは一面では正しいが、それを果したのは所謂「対話」の効果によってではない。彼が彼女の言葉を理解して、受け入れたからではない。というのも、彼らの差異、共通認識の不在は相変わらず続いているからだ。
まず岡田の方から見てみよう。彼は不思議な人物である。というより、リヴァの存在及び過去の濃密さに比して、彼はいくらかフラットな人物に思える。原爆で家族を失ったことが彼の劇中での行為にいくたりかでも影響を及ぼしたことを見定めるのは難業である。むしろ彼の関心はひたすらに目の前のエマニュエル・リヴァその人に向かっている。彼女の過去についても、彼は「君がいまの君になったわけが分ったような気がするよ*10」と言うだけで(彼女はそれに答えない)、現在の彼女を知るための材料と考えているにすぎない。それゆえ、ヌヴェールの話を聞き終えたとき彼が真先に尋ねるのは、この話が余人に語られたことがあるかどうかだ。夫にさえも語ったことはないという答えを得て、彼は狂喜する。何故なら、彼にとっての競争相手は死人のドイツ人ではなく、いま彼女を占有している夫だからだ。この点で彼は思い違いをしている。彼女が「十四年間忘れていた恋」というとき、夫は物の数に入っていない。彼の歓喜に「黙ってTais-toi」と答えるだけの彼女の反応を見ても、それが相手に合わせてみせたものにすぎないとわかる。
他方でリヴァも岡田を見違えている。ある時点から彼女があなたtoiと言う時、それはドイツ兵なのか岡田なのか判然としない。岡田もそのことは理解していて、「君が地下室にいたとき、ぼくは死んでいたんでしょう?*11」と嘯いてもみる。彼女の視線は、現在を見ているようで、常に過去に囚われているのである。
さらにもう一つのすれちがいの例。
過去を語り終えた彼女は、街を徘徊しながらモノローグで自問自答してゆく。彼女は、過去について語ったことで、ドイツ人男性を裏切ってしまったのだと感じている。語ることで、彼のことを忘れてしまうのだと。それは忘却との格闘であるが、ここでは「忘却」の二つの位相に気を付ける必要がある。
一つは、これまでの十四年間の忘却だが、これは厳密には忘却ではない。何故なら彼女の苦しみは残り続けていたし、手がその苦しみの証人であり続けたからだ。彼女はそれについて語らず、一見平穏で理性的な(raisonnable)生活を送ることで、かえって狂気を、語り得ないものを保存し続けてきた。
二つは、いまここで彼女を襲う忘却であり、これこそ忘却の名に値する。それは語ることによって忘却する。一般に語ることによって記憶を保存すると言われているのは、それは正しくない。私たちは語らないことによって保存するし、語ることによって忘却する。何故なのか。言葉の脆さのゆえか。感情の脆さのゆえか。何故かはわからないが、「とにかく」そうなのだ。
駅のベンチに座ったリヴァは喋らない。同じベンチに座った岡田も敢えて話しかけない。ふたりのあいだに座っている老婆が、岡田に話しかける。

老婆「このひとはどこのひとなんですか?」
男「フランス人です」
老婆「ご病気なんですか?」
男「いや……彼女はもうすぐ日本を発つんです ぼくたちは愛し合っているので、別れるのがつらくて二人とも悲しんでいるんです」
(1:19:00〜)

尋ねられたとき、彼は「ぼくたちは愛し合っているので」と答える。彼は彼女を理解していない。彼女が闘っているのは、ただただ自分の過去だ。彼は目の前の彼女しか見ていないから、それを見落とす。このように、この映画に満ちているのは、理解ではなく、誤解、誤認である。そのような状況で、「ぼくたちは愛し合っているので」と言えるのか? 友好あるいは姉妹都市といった絆は生まれるのか?

回帰

それでも愛が始まろうとしている。
彼女はドイツ人男性を忘却するのと同じように、彼女自身の過去をも忘れてゆく。
否応なく。忘却は受け入れられ。そして歌が生まれ。

Elle: Un jour sans ses yeux et elle en meurt.
   Petite fille de Nevers.
   Petite coureuse de Nevers.
   Un jour sans ses mains et elle croit au malheur d'aimer.
   Petite fille de rien.
   Morte d'amour à Nevers.
   Petite tondue de Nevers je te donne à l'oubli ce soir.
   Histoire de quatre sous.
   Comme pour lui, l'oubli commencera par tes yeux.
   Pareil.
   Puis, comme pour lui, l'oubli gagnera ta voix.
   Pareil.
   Puis, comme pour lui, il triomphera de toi tout entier, peu à peu.
   Tu deviendras une chanson.*12
彼女:ある日その眼もないところで、彼女は死ぬ
   ヌヴェールの少女は
   ヌヴェールの尻軽娘は
   ある日その手もないところで、彼女は愛することの不幸を想う
   何者でもない少女は
   ヌヴェールでの愛の死は
   ヌヴェールの丸刈り娘よ 私はあなたを今夜忘れてしまう
   値打ちのない物語よ
   彼と同じように、忘却はあなたの眼から始まる
   同様に
   それから、彼と同じように、忘却はあなたの声を捉える
   同様に
   それから、彼と同じように、忘却は完全にあなたを支配する、少しずつ
   あなたは歌になる
(1:18:00〜)

彼女は過去を語ることで裏切り、それらを忘却に沈めてしまう。彼女は過去を忘却から守るためにありったけの力を注いだのだから、忘却は彼女にとって絶望的なことだが、しかしその到来の否応なさは、彼女を別のところへと導いていくことになる。つまり、治癒へと。

治癒

このような議論に持ち出すのは反則技にも思えるし、関心のないひとは読み飛ばして差し支えないが、以前読書会で読みそれなりに感心もしたので、備忘のためにもここで精神分析ジャック・ラカン(1901-1981)の理論を引こう。
『エクリ』に所収された通称「ローマ講演」と呼ばれる彼の講演「精神分析におけるパロールとランガージュの機能と領野」(1953)*13の問題設定のひとつは、分析がいつ終わるか、つまり、患者はいつ快癒したと言うことができるか、である。
当時精神分析の技法は、セッションの時間を厳密に定め、決められたマナーを守ることで患者を治癒に導こうとしていた。そのためには患者が語りたいことを語り、それに分析家が適切な解釈を与えてやることが必要とされた、という。ところがラカンは、セッション時間を不規則に、時には患者の言葉をぶつ切りにすることでお終いにした。これを短時間セッションという。この論文には彼の創始したこの方法論を擁護するという底意がある。つまり彼は、この短時間セッションという方法論こそが、患者を快癒に導くと考えているのだ。何故か。
彼に拠れば、患者は必ずしも自分の言葉を適切に伝えられているわけではない。むしろ、伝えようと思えば思うほど、相手はその伝達内容を誤解しているように思われて、イライラしてしまう。意図が実現しない、伝達が成功しないことで、患者はフラストレーションに陥る。このような患者-主体*14の意図ばかり膨らみ、伝達が果たされない言葉を、ラカンは「空虚な言葉parole vide」という。しかし、それは聞き取り手の問題だろうか? 「自分は他人にわかってもらえない」と悲観する人間がいるが、そういうひとはそう考えることでますます言葉を空虚にしていることに気付かない。

Demandons-nous plutôt d’oû vient cette frustration ? Est-ce du silence de l’analyste ? Une réponse, même et surtout approbatrice, à la parole vide montre souvent par ses effets qu’elle est bien plus frustrante que le silence. Ne s’agit-il pas plutôt d’une frustration qui serait inhérente au discours même du sujet ?
むしろ我々は、このフラストレーションがどこからやってくるのかを問うべきではないか? 分析家の沈黙から? 空虚な言葉に対する返答は、それ自体が、そしてそれがとりわけ賛意を示すものであるとき、しばしば沈黙よりも強いフラストレーションを起こす。ここで問題になっているのは、むしろ、患者の話それ自体に通底しているフラストレーションではないか?

つまり、患者の話、あるいは患者が自己を伝達したいという意図それ自体が、本質的に欲求不満であるために、それに対する如何なる応答も十分な満足をもたらすには至らない。まだしも、黙っていたほうがマシだ、というわけだ。
他方、「充溢した言葉parole pleine」というものも存在する。それは、患者がすべてを伝えようと、「本当の自分」を理解させようと努めることを諦めたときに生ずる。何故このような逆説的な事態が起きるのか? ひとが考える「本当の私」とはそのひとの幻想に過ぎないと考えられるためである。「私」という確たるものが存在して、それを相手に伝えねばならないのであれば、それを伝える容器としての言葉はあまりに貧しく、空虚である。だが、「私」はそのひとの頭の中にだけ存在する抽象的な存在ではなく、発話のなかに、言語のなかに奥深くまで組み込まれたものだろう。それゆえ、精神分析家が目指すのは、このような患者の幻想を打ち砕くことであり、短時間セッションはその破壊に奉仕している。

Tout au contraire l’art de l’analyste doit être de suspendre les certitudes du sujet, jusqu’à ce que s’en consument les derniers mirages. Et c’est dans le discours que doit se scander leur résolution.
それ[本当の、客観的な私が存在する、などという幻影]とはまったく反対に、精神分析の技法は患者の確信を、その最後の幻影が消え去るまで失効させねばならないのである。それら幻影の解消がスカンシオン[分節化]されるのは、ディスクール(話)においてである。

このような幻影が失効させられたとき、患者に残るものはいったい何か? あらゆる意味、あらゆる意図の不在だろうか? あらゆる主体性の不在だろうか? そうではない。幻影に服従して、言語をそのために奉仕させることをやめたとき、言語のなかで、言語においてこそ、あらゆる意味、あらゆる意図の創造的主体が、あらゆる主体性の根拠がうまれる。たとえばあるトラウマ的出来事を想起するとき、患者がその出来事に囚われ、その出来事によっていまの自分が作られており、そこから逃げることができない、トラウマを身に宿した私こそが「本当の私」だと確信しているならば、彼または彼女は病的である。その出来事の現実性を確信しているために、不変の私に囚われているだろう。それとは反対に、言語のなかで、言語においては、そのような不変的なものは存在しない。真理は、発話のなかで誕生するものであり、常にそのかたちを変えてゆく。

Soyons catégorique, il ne s’agit pas dans l’anamnèse psychanalytique de réalité, mais de vérité, parce que c’est l’effet d’une parole pleine de réordonner les contingences passées en leur donnant le sens des nécessités à venir, telles que les constitue le peu de liberté par oû le sujet les fait présentes.
カテゴリー的に区分すれば、精神分析的な想起において問題になっているのは、現実性ではなく、真理である。何故なら、過去の偶発事を再び秩序づけ、主体がそれを現在のものとするわずかな自由によって構成するような、来たるべき必然事という意味を与えることこそが充溢したパロールの効果だからである。

欲望は一度死なねばならない。それは自分のすべてを理解してほしいという要求だ。幼児が母親に願うような。それがありえないことを受け入れ、断念することによって、欲望は世界中に広がる。この断念は、言語という象徴の世界に服従することで達成される。言語を用いるかぎり、自己イメージを透明にありのままに伝達することはできないからである。そのような意図にとって、言葉は障碍に過ぎず、邪魔者だ。それとは反対に、言語を学び、それに服従する者は、かえって言語を道具として用いることができる。彼は言語に服従することで自己の欲望を言語の隅々にまで分節させ、そこに自己を見出すことができる。

Ainsi le symbole se manifeste d’abord comme meurtre de la chose, et cette mort constitue dans le sujet l’éternisation de son désir.
このように象徴は、まず心的な事物の殺害者として現れ、この死が主体において欲望の永遠化を構成するのである。

誰しも言語なしには語り得ないのであり、もしひとが幻想と錯誤のゆえに自己を言葉抜きで伝達できると思いこんでいても、分析家が耳を傾けるべきは彼の意図ではなく彼の言葉それ自体である。彼が幻想から抜け出し、言語の服従者にして使用者であると自らを認めるとき、分析は終わる。分析は患者を言葉的共同体に送り返すからだ。短時間セッションはそのために、彼の言わんとする言葉すべてには敢えて耳を傾けず、患者自身を意図から宙吊りにされた言葉自体に向き合わせて、彼自身の意図せぬ言葉に直面させるのである。「何故ならこの技法が話を断ち切るのは、言葉を生み出すために他ならないからである*15

再生

二十四時間の情事』に戻ろう。リヴァと岡田のやりとりは、上で論じた患者と精神分析家の対話に通ずるものがある。リヴァの忘却は、言語によって彼女が過去の意味を決定する主体になってゆくプロセスを描いている。ここで岡田の役割は、リヴァの言葉を適切に理解して、彼女を受け止める、などといったものではない(彼はそれができたと信じているようだが)。彼には能動的な役割は期待されていないのだ。ただ、彼女はその誤解のさなかで、鮮烈で言語化不可能な幻影として自らのうちに保持してきたものを語ってしまうことによって、言語の秩序に服従する。それによって彼女は(正確に言えば、彼女の幻想の主体は)死ぬ。しかしそこには再生renaissanceがある。読み取り不可能な記号に、彼女自身が意味を与えて、再び秩序付けていくのである。
短時間セッションの役割を果すのは、岡田の平手打ちだろう。「初恋だったのよ!C'etait mon premier amour!」と叫ぶリヴァに彼は平手を食わす(0:57:24〜)。彼女の言葉は突如として断ち切られ、バー「どーむ」の客たちはいっせいに二人に振り向き、その眼差しとともにリヴァの意識は現実の秩序に帰ってくる。彼女の幻想は失効させられてゆくのだ。
このように、彼らのやりとりは、お互いを理解することのないものでありながら、それにもかかわらず伝わってしまう言葉それ自体の強制力によって結び付けられ、リヴァを過去の忘却へと導いてゆく。
対話を不可能性でもってひとくくりにしてしまうのは、語の響きと諦念のヒロイズムにやられた者だ。その可能性を過剰に信じ込むのは、ただの愚者だ。そのように私には思われる。不可能性と過剰な可能性、その中間に言語の領域を見出す必要がある。
新しく生まれるとき、それは夢からさめてしまうときだろうか。あるいは、いまだにトーテムは、それが夢であると警告を発し続けているかもしれない。それはわからない。しかしラストの場面で、二人はまるで、二十四時間の情事のあとに、初めて出会ったかのように言葉を交わす。この作品の構造を、出会いに始まり、別れに終わるものと捉えてはいけない。終幕に私たちが目にするのは、ひたすらに引き延ばされた出会いの瞬間である。そこで演じられているのは、まったく新しい出会いであり、まったく新しい始まりである。
夜の闇が晴れて、夢からさめてしまうとき、彼らはお互いを初めて認識する。Hiroshima-Nevers.

Hiroshima Mon Amour

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二十四時間の情事 [DVD]

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*1:以下、場面については冒頭の動画からだいたいの該当時間を示す

*2:以下、引用はMarguerite Duras, Hiroshima mon amour, Gallimard(Collection folio),1971(2010),44-45頁より。訳は自分。

*3:岡田は何を抑圧しているのか。岡田は何を考えているか。岡田とは何者か? これは興味をそそる問いだ。

*4:「非国民」への剃髪行為はフランス・レジスタンスの鬱憤を晴らすように終戦直後に行われた。『映像の世紀』を参照。

*5:Quand? Je ne sais plus au juste.100頁

*6:Même des mains je me souviens mal... Dela douleur, je me souviens encore un peu. 102頁

*7:La nuit, ça ne s'arrête à Hiroshima? 105頁

*8:Qu'est-ce que tu veux qu'on tourne à Hiroshima sinon un film sur la Paix? 53頁

*9:Ce qui est vraiment sacrilége, si sacrilége il y a, c'est HIROSHIMA même 「シノプシス」10頁

*10:C'est là, il me semble l'avoir compris, que tu as dû commencer à être comme aujourd'hui tu es encore. 81頁

*11:Quand tu es dans la cave, je suis mort?

*12:118頁

*13:以下、引用の訳は自分。既訳は翻訳史に残る悪物である。ネット上にはいくつか部分的な試訳が存在する。原文も見つかる。

*14:どちらもフランス語ではsujet

*15:Car elle ne brise le discours que pour accoucher la parole.

『イリアス』における運命論的思考

今回は『イリアス』における世界観、特に「運命」についての考え方について書く。はじめに叙事詩というジャンル及び世界についての後世の評価に触れ、それを批判的に検討する。それから『イリアス』における具体的描写を引用しながら、そこで「運命」が如何様に描かれているのか眺める。

しあわせな時代と叙事詩

小説の理論 (ちくま学芸文庫)

小説の理論 (ちくま学芸文庫)

ハンガリーの哲学者・美学者であるジェルジ・ルカーチ(1885-1971)は1920年の著作『小説の理論』のなかで叙事詩を次のように捉えている。

自己を失うことがありうるということを心情はまだ知らないし、自己を探求しなければならぬということなど考えてもみない。これが叙事詩の生まれた時代である。[...]自らを墜落へと誘ったり、道のない高みへと駆りたてたりするかもしれぬような、自己のうちの深淵を、心情がまだ知らないとき、また、世界を支配し、未知の公平な贈物として運命を分かち与える神性が、あたかも幼児にとって父親がそうであるように、理解はできないがよく知られているものとして、人間の間近に立っているとき、そのようなときには、あらゆる行為は、心情にぴったりと合った衣服のようなものにほかならない。その場合には、存在と運命、冒険と完成、生と本質とは、同一の概念である。なぜなら、叙事詩がそれに対する、形象化による答えとして生まれてくるところの、問いとは、生はいかにして本質的となりうるか、という問いだからである。そして、ホーマー[ホメロス]の近づきがたさ、およびがたさは――そして厳密にいえば、ホーマーの詩だけが叙事詩なのである――歴史における精神の歩みが、その問いをはっきりと提起するより前に、かれが答えを見いだしてしまったという点にあるのである。(ジェルジ・ルカーチ著、原田義人・佐々木基一訳『小説の理論』ちくま学芸文庫、11-12頁)

すなわち、叙事詩的世界においては、世界と自我とのあいだに調和的で均整のとれた関係が保たれており、単純な生はその本質を容易く見出すことができる。「生はいかにして本質的となりうるか」、言い換えれば、「私は何故何の為に生きているのか」という生存の意味についての問いは、その問いに先んずる答えによって包摂されている。その答えは、世界の側から、神々の側からやってくるのであり、「かれらはけっして単独で行くのではなく、つねに導かれて行くのである。かれらの歩みが揺るぎない確信にみちているのはそのためである。」(105頁)
このエッセイはこう始まっていた。「星空が、歩みうる、また歩むべき道の地図の役目を果たしてくれ、その道を星の光が照らしてくれるような時代は、しあわせである。」(9頁)これは、あるいは「心情のうちに燃えている火は、星たちと同じ本質的性質をもっている」(同)という文言は、カントの以下の言葉を意識しているのだろうか? 「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない。」天上の星々と、内なる自我とが一致して、自らの存在が疑いの余地なく満たされているとき、ひとは自らの為すべきことを知っており、しあわせであるとされる。そしてそれが叙事詩の生まれた時代なのだ、と。

不幸な意識と小説

この投稿の本題ではないので雑記するに留めるが、これに対置されるのが叙事詩以後の時代であり、小説の時代である。

われわれはわれわれの内部に、それのみが真の実質であるところのものを発見した。それゆえ、われわれは認識と行為、心情と形態、自我と世界とのあいだに、架橋しがたいさまざまな深淵をおき、深淵のかなたにある実質性を、すべて、反省性のうちに飛びちらしめねばならなかった。(18頁)

ひとつの深淵、自己意識と呼ばれる深淵は、遅延を許さない性質の問いを投げかける。「生はいかにして本質的となりうるか……?」しかし、この問いに答えてくれる神々はもはや存在しない。問いかけが、あらゆる答えに先行するようになり、そしてあらゆる答えを拒絶する。叙事詩以後の時代は、運命なき存在、完成なき冒険、本質なき生が世界の中心に置かれることになる。
この神々の不在の時代が、如何なる歴史的過程によって到来したかを問うのは無益なことである。ひょっとすると、神々のおわす「しあわせな時代」など存在せず、私たちがただそれを懐古的/神話的に空想しているだけかもしれない。別にそれでも構わない。しかしながら、まさにそのような懐古、郷愁が、私たちのうちに避けがたく存在するということ、それこそが生と本質のあいだの「ひび割れ」を証明しているのである。そして、叙事詩が「しあわせな時代」のための表現であったのと同じように、このひび割れのための表現もまた存在する。
それが小説である。「小説の形式は、他のいかなる形式にもまして、先験的な故郷喪失の表現」(30頁)である。
また彼の別の言い方では、「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩」である。(108頁)
小説というものは、調和に満ちた世界に亀裂が入り、それを補修する必要の生じた時代の表現であり、そこでは主人公が調和を取り戻すための探求に出ることが範型となる。
答えが世界の側に用意されていないのだから、それを単独で探し求めなければならない。探求は「絶望的な試み」(55頁)であるとされるが、それは、探究が成就しえないものであり、かつ、探究を止めることはできない、という二重の意味において絶望的である。

小説の主人公たちは探求する人間たちである。探求するという単純な事実は、いかなる目標も道も与えられてはいない、ということをあらわしている。あるいは、目標と道とが心理的に直接、揺るぎないものとして与えられているということは、けっして、真に存在している諸連関とか倫理的な必然性とかを明白に認識しているとことではなくて、たんなる心情的な事実にすぎず、客観の世界においても、規範の世界においても、それに対応すべき何ものもないということを表している。(64-65頁)

小説は冒険の形式であり、内面性の固有価の形式である。小説の内容は、自らを知るために着物を脱いで裸になる心情の物語であり、冒険を求めて、それによって試練を受け、それによって自らの力を確かめながら、自らに固有の本質性を発見しようとする心情の物語である。(110頁)

イリアス』における運命論的思考

小説の話はこれまでにしたい。いま関心を惹くのは叙事詩であるが、ルカーチの議論は叙事詩に具体的に言及せず、アプリオリな判断を与えている(彼の関心を惹くのは小説なのだから、仕方ないのだが)。彼の議論はどこまで有効たりうるか。
ルカーチの発想は反映論的である。調和的な時代には調和的な表現が、ひび割れた時代にはひび割れた表現が、というように、表現芸術は時代を反映する鏡であると捉えている。これを下部構造が上部構造を規定する、という言い回しに変えれば、きわめて俗流マルクス主義的な「表現」理論が成立する*1
しかしながら、イデオロギーの機能はもう少し複雑に機能するだろう。たとえば、『イリアス』においては、英雄たちが恬淡として死を受け入れ、神々との交わりにおいて運命を甘受することが、徳であるとされている。もしこの作品が傑作として賛美され、正典化されて、万人の従うべき範となれば、そのことで利益を得るのは誰か。為政者であり、国家組織である。戦争が奴隷や宝物を得る主な手段であった古代都市国家の為政者にとっては、兵卒から恐れを奪い、死を従容として受け入れさせることほど重要な課題はない。逃げ出すのは臆病者であり、前線で戦うのは英雄である。かかる規範は如何に抑圧的に作用するだろう。叙事詩ルカーチのように素朴に「規範的な幼児性」(81)と考えることはできない。それは意図して創作された子供たちである。
西洋文学の祖たる『イリアス』が戦争を描いている。これはまったく故なきことではない。これは、西洋文学というものがイデオロギーの単なる反映としてではなく、むしろそれを規定するための共犯的な役割を果していたことを明らかにするだろう。
「運命」とはひとつの重要なイデオロギーであるイデオロギーとは、ここでは雑駁な定義しか与えられないが、その観念の外部を認めさせない思考を指す。たとえば「面白くなきゃテレビじゃない」というとき、その「面白さ」はそれ以外の在り方を排除するという意味で、イデオロギーである。運命は何ぴとたりとも逃さない。それは死に合理的な理由を与えることで、生を全体化する。
作品を時代の反映として捉えるルカーチの思考法には、この点欠陥があり、彼もまた神話のイデオロギーに捉えられていると言える。*2

死を描く

いくつか、『イリアス』における死の描写及び死を待ち受ける描写を引用することで、まとめに代えたい。以下の引用は松平千秋訳『イリアス』(上)(下)岩波文庫、1992年から。
まず、はじめに描かれる死は第四歌に現れる。一段落まるごと引用しよう。

全軍中第一番にアンティロコスが、最前線で戦うトロイエ方の勇士、タリュシオスの子エケポロスを討ち取った。アンティロコスが先手を取って槍を放ち、馬毛の飾りを施した敵の兜の星に当てれば、槍は相手の額にささり、青銅の穂先は骨を貫く。撃たれた男の両眼を闇が蔽い、彼は激戦のさなかに、槍の崩れるが如く倒れ伏した。剛毅のアバンテス勢を率いる、カルコドンの一子エレペノルは、倒れた男の脚を掴み、すぐさま武具を剥ぎ取らんものと、槍の飛び交う中から、死骸を曳いてゆこうとしたが、その懸命の努力も束の間に終った。剛毅のアゲノルが、戦友の死骸を曳き摺ってゆく彼の姿を見るや、腰をかがめた彼の脇腹が、楯からはみ出たのをめがけて、青銅の穂先の槍で突き、四肢を萎えさせてしまう。息絶えた彼の遺骸をめぐって、トロイエ、アカイア両軍の激闘が続き、狼の如く互いに襲いかかり、人と人とが激しく揉み合った。(上133頁)

アンティロコス(アカイア方)がエケポロス(トロイエ方)を殺し、その死骸から武具を奪おうとしたエレペノル(アカイア方)をアゲノル(トロイエ方)が殺す。どちらも痛み分けというところだが、いまは「両眼を闇が蔽い」という描写に注目しよう。これは『イリアス』中で何度も頻出する死の描写である。ホメロスの描写法は視点の取り方からして如何にも自由闊達だが、ここでは彼が死者の目線に立っているともとれる。あるひとが死んだとき、傍からは彼の眼が闇に蔽われたと見えない。それが見えるのは死者の側であり、それまで彼が捉えていた世界が闇に蔽われる。私は「両眼を闇が蔽い」という描写を読むたびに、その死者の立場に立たされ、その死を追体験させられ、突如訪れた死の迫真性を感じさせられる。
次もまた死の描写として典型的である。

ついで、エウアイモンの子エウリュピュロスは、勇士ヒュプセノルを討ち取ったが、その父はかつて河神スカマンドロスを祀る祭司で、国中から神の如く崇められていたドロピオンなる者であった。エウアイモンの優れた息子エウリュピュロスは、眼の前を逃れてゆく彼を追い詰め、剣を揮って躍りかかるとその肩に切りつけ、逞しい腕を切り落とす。血塗れの腕は地上に落ち、赤黒い死と免れがたい運命が、その両眼をしっかと閉じた。(上142頁)

死は赤黒い。これは血の色を連想させるが、別の箇所の註で「「黒い」は苦痛にかかる枕言葉風の形容辞」(下巻96頁註)ともあるので、体系的な色彩感覚なのだろう。また死は免れがたい運命と等号で結びうるものであり、叙事詩世界の運命論とはひっきょう死についての思考法であると言えよう。
次はきわめてグロテスクな描写。

[...]アガメムノンは真先に敵中に突入し、軍勢の牧者ビエノルを倒したが、彼とともにその家臣、馬を御すオイレウスをも討ち取った。すなわち、彼が戦車から跳び下りて相対し、勢い込んで真直ぐに向かってくるところを、鋭利の槍でその前額を突けば、重い青銅の兜の鉢も槍を支えきれず、槍は兜を通し骨をも貫いて、脳髄はことごとく兜の中に散乱する。[...](上336頁)

これは直球な描写だから、どのような効果があるのか多言を要しないだろう。
読者の視覚を巧みに誘導しながら描かれるこれらの死は、当時の聴衆にあっても恐怖を感じさせたものに違いない。このように、死についての描写は、単に死を崇高化して、清浄化することによって成り立つものではない。描写のレベルは、むしろ死の残酷さ、恐怖を強調する。それによって、かくも恐ろしい死を耐えることが称賛に値するようになるのである。

死を待ち受ける

次に、ヘクトルによる死の予期。前回のエントリで述べたように、第六歌で妻のアンドロマケと別れを告げる場面は叙事詩中の白眉である。彼はアンドロマケを慰めて次のように語る。

どうしたというのだ、あまり思い悩むのはやめてくれ。わたしの寿命が尽きぬ限り、わたしを冥府に落とすことは誰にもできぬのだ。人間というものは、一たび生れて来たからには、身分の上下を問わず、定まった運命を逃れることはできぬ。さあ、そなたは家へ帰り、機を織るなり糸を紡ぐなり、自分の仕事に精を出し、女中たちには各自仕事にかかるように言い付けるのだ。戦さは男の仕事、このイリオスに生を享けた男たちの皆に、とりわけてわたしにそれは任せておけばよい。(206頁)

ヘクトルの死はあまりに悲しい。トロイエ方で最強の軍人だが、弟パリスの不手際の責任をとるためにも彼は前線に出続けねばならず、妻との永訣はあらかじめ予期されていたことだった。『イリアス』自体、ヘクトルの死後、彼の死体をトロイエ方が回収するところで物語は終わる。
彼とアンドロマケの別れの場面で、もっとも支配的なのが運命である。彼は死を恐れない。何故なら死の定めはあらかじめ決められているからであり、人間が足掻いて避けられる類のものではない。だとすれば、戦場での死闘は恐れるに足らない。英雄たちの高邁の精神には、このような楽観が根底にあると考えてよい。
他方アキレウスの死は『イリアス』には描かれない。ところが彼の死もあらかじめ定められている。それは生まれたときに予言されていたことで、母親テティスも彼が生まれたことが不幸だったと何度も嘆いている。

「わが子よ、そなたがそのようにいうのであれば、辛いけれど長くは生きられまい、ヘクトルに続いてすぐそなたにも死の運命が待っているのだから。(下199頁)

彼の死は作中で何度も予言される。しかしそれは叙事詩のなかで実現されない。この事実はいくらか拍子抜けさせる。
基本的にホメロスの世界で動物は喋らないが、第十九歌では女神ヘレの能力によってクサントスという馬がアキレウスに人語を語る。

「豪勇アキレウスよ、いかにもわれらはこのたびはまだあなたの身をお守りしましょう、ですがあなたの最期の日は間近に迫っているのです。それもわれらのせいではなく、偉大なる神と強力な運命の女神のなさること、それにまた、トロイエ勢がパトロクロスの肩から武具を剥いだのも、われらの動きが鈍かったためでも怠慢のせいでもなく、髪美わしきレトのお産みなされた、神々の中でも特に優れた神が前線で討ち取り、ヘクトルに功名をたてさせられたのです。われらは最も脚の速いといわれる西風とでも速さを競うことができるつもり。つまり、さる神とさる勇士との手にかかって最期を遂げるのは、あなた御自身に定められた運命なのです。」(下246頁)

それに応えてアキレウスが言うには、

「クサントスよ、どうしてわたしの死を予言したりする。要らざることだ。わたしが父母から離れたこの地で果てる運命にあることは、自分でよく承知している。とはいえ、トロイエ勢に嫌というほど戦いの苦汁を味わわせるまでは、わたしはやめぬぞ。(下246-247頁)

ヘクトルアキレウス、ふたりの豪勇は真反対の立場に置かれているのではあるが、神々の前で彼らの立場は共通している。運命を受け入れ、それまで闘い続けること。国は敗れても彼らの偉大さは歌い続けられる。その意味でゼウスの眼差しは人みな全てに注がれているのであり、かつ同時に、戦争の勝利敗北にかかわらず、死を受け入れることは称揚されている。
さて、最後にこのヘクトルアキレウスの勝敗が決した後のやりとり。

「[...]そういうアキレウスに、輝く兜のヘクトルが、息も絶え絶えにいうには、
「おぬしがどういう男か、その顔を見ればよく判る。そもそもおぬしに頼みを聴いてもらおうというのが無理であった。おぬしの胸の心は鉄のようなのだからな。だが今から考えておくがよい、いずれおぬしが神々の怒りを買う因に、このわたしがなるかも知れぬことをな、パリスとポイボス・アポロンが、スカイア門の辺りで、おぬしを――いかに豪勇の士とはいえ――討ち取るその日のことだが。
こういった彼を死の終りが包み、その魂は己れの運命を喞ちつつ、雄々しさと若さとを後に残し、四肢を抜け出して飛び去り、冥王の館へ向かった。勇将アキレウスは息絶えたヘクトルに向かっていうには、
死ね、わたしはゼウスを初め他の神々方が、それを果そうとなされた折には、わが死の運命を甘んじて受けよう。」(323-324頁)

これはもう名場面としか言いようがない。この場面を読むとき、作中でアキレウスの死が描かれていないなどということが実に些細なポイントであるかがわかる。死は予言のうちに既に描かれており、重要なのは、死の場面というよりも、如何に死に構えるか、これである。その意味では、既にアキレウスは死を超えているとすら言える。

ここまで長々と引用を重ねてきたのは、『イリアス』が死を描くこと、死を待ち受ける人々を描くことにどれほどの才を尽くしているかを理解してもらうためである。そしてその意図は十分に果たされたはずだ。読者は多くの兵卒たちの死を恐怖として受け止めつつ、それを乗り越える英雄たちの態度を讃嘆せずにはいられない。それは掛け値なしに。いっぽうで私たちの感情は利用される。操作されていると言ってもいい。このことについては繰り返さない。いまや私の関心は、こうして構築された死についての運命論的モデルが、どのようにして『オデュッセイア』に引き継がれ、さらには相対化されるか、ということである。

*1:この時期の彼はマルクス主義者ではなくヘーゲル主義者であることは留意されたいが。

*2:私は、『オデュッセイア』についてはこれと正反対のことを考えている。『オデュッセイア』は『イリアス』を相対化することにより、運命論的思考のイデオロギーの解体を試みている、という風に。しかしこの節で展開したことをきびしく適用すれば、イデオロギーとはそこから超脱した立場を採りうるものではない(その超脱という立場もまたイデオロギーである……)ため、『オデュッセイア』にも何らかのイデオロギーが介在することを認めねばならない。解体、再建、解体、再建……これでは堂々巡りではないか? このことは課題としたい。