オデュッセイア的転回

『イリアス』における運命論的思考
先のエントリでは、『イリアス』に機能している支配的なイデオロギーが「運命」であり、それが戦場においては、死を定められたものとして潔く受け入れる態度として具体化されていることを確認した。その末尾で予告しておいたことだが、『オデュッセイア』ではそれが引き継がれつつも相対化されている。今回のエントリでは、この「オデュッセイア的転回」とは如何なるものかについて論じたい。

英語で言えばOdyssey Turnになるのではないかと思うが、ここでturnの語は示唆的な働きをしてくれている。まさしく『オデュッセイア』は、『イリアス』で戦に明け暮れた英雄が「転回」して、故郷に帰るまでの物語である。戦時中には死を受け入れることが重要な美徳たりうるが、戦後には生を再構築することこそが求められる。両作品に異なる原理が働いているのではないかと考えることは全く妥当なことだろう。

事実、前回の予告をしてから今日までのあいだに一冊の研究書を読み、そこで明快に『イリアス』から『オデュッセイア』への変化が論じられていることを発見した。「オデュッセイア的転回」というのは私の造語だが、それがただの思い付きではなく、専門家のより精緻な読解のなかに居場所を見出すことができたのは幸福なことだと思う。そしてこの本がまた、何とも面白い。

そこで、このエントリでは西村賀子の『ホメロスオデュッセイア』 <戦争>を後にした英雄の歌』(岩波書店、2012)の紹介を主な作業として、オデュッセイア的転回がどのように捉えられているかを理解する。しかし同書は、やはり『オデュッセイア』の世界を魅力的にばかり書きすぎているように思われるので、前回の『イリアス』についてと同じように、最後にそのイデオロギー的性格を指摘したい。まったく野暮な作業だと思うが。

変遷

同書は二部構成からなる。第一部では「書物の旅路」と号して、ホメロスの手になるものとして伝えられてきた作品がどのように文字化され、礼賛あるいは批判されてきたかについての受容史を展開している。先にこちらを瞥見しておこう。以前(『イリアス』を読むためにホメロス作品は西洋的思考の根源であると軽く触れたが、それは間違いではないにせよ複雑さを見落としてしまっていた。

著者の西村は、はじめに二十世紀における『オデュッセイア』受容として、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』やギリシアの詩人ニコス・カザンツァキスの『オジッシア』、またセントルシアの詩人デレク・ウォルコットの『オメロス』『オデュッセイア劇場版』などを取り上げ、今日においても西洋で、またウォルコットの場合は非西洋なのだから、もっと言えば世界中で、成立が紀元前に遡る叙事詩が受け入れられ、翻案されていることを論じている。

それから著者はホメロス作品の成立過程、特に、どの作品がホメロスの真作であり、また本来は口承詩であった叙事詩群がどのように文字化されたかを辿っている。ここにも驚きが溢れている。まず、著者の西村が『イリアス』と『オデュッセイア』を別人の作と考えていること。

こうした[両作の成立年、文構造についての]研究成果を踏まえて近年注目されているのは、『イリアス』の作者とは別の人物が、この記念碑的な叙事詩を意識しながら『オデュッセイア』を創作したという見解である。[...]
別人説につく人々は、『イリアス』の詩人をホメロスと呼び、『オデュッセイア』の作者を「『オデュッセイア』の詩人」と呼ぶ。筆者も別人の手になるという立場に与する。「『オデュッセイア』の詩人」はホメロスをライバル視して新しい歌を作ったという主張もある。しかし、両詩の作者(たち)について確言できることはほとんどないので、「『オデュッセイア』の詩人』の胸中は忖度できない。(50頁)

では本のタイトルが『ホメロスオデュッセイア』 <戦争>を後にした英雄の歌』なのは何故かという疑問が浮かぶが、そこは慣例というか、出版事情も介在しているのだろう。確かに両作を読み比べると、『イリアス』が如何にも生き生きとした比喩によって戦場を描写するのに対して、『オデュッセイア』には比喩が少なく、より散文的な印象を受ける。「劇的で宏壮な『イリアス』はホメロスの全盛期の作品であり、『オデュッセイア』は偉大な才能にも翳りがにじみ出た「沈みゆく太陽」のような晩年の作であると」(49頁)論じている三世紀のロンギヌスの見解も頷けないではない。いっそ別人と考えた方が明快だということもありうる。研究の積み重ねられた今日においてこそ、このような別人説が至極正当な学者にも共有されているわけだ。

また、口承詩理論というのはミルマン・パリーという古典学者の提唱したもので、ホメロスの詩は本来書かれたものではなく、口承によって伝えられたものであるという今日定説化した見解を精緻化したものである。これが所謂「ホメロス問題」に多くの光を投げかけたのだという。というのも「ホメロス問題」とは、ホメロスは実在するのか、ホメロスの作品がどこまでホメロス自身の手になり、どこからが後世の挿入・修正によるものなのかを喧々諤々に議論したもので、とりわけ近代には百五十年ものあいだ分析論(叙事詩に多く現れる反復表現は後代の詩人の不手際によると見做す立場)と統一論(反復は無意味ではなく重要であると見做す立場)の平行線を辿っていたのだという。

ホメロス叙事詩では、「足の速いアキレウス」、「堅忍不抜の勇士オデュッセウス」、「賢明な妃ペネロペイア」のような修飾語が頻繁に用いられる。定型句と呼ばれる決まり文句である。彼[ミルマン・パリー]は定型句と韻律(長短格六脚韻)の関係の精緻な分析から、定型句はつねに韻律上の一定の位置に置かれるという法則を見出し、『イリアス』と『オデュッセイア』は、多くの定型句の広範かつ経済的な組み合わせによって秩序正しく成り立っていると主張した。それらは文字によらない即興的な口承から誕生し、口承をとおして何百年も伝えられ、その過程で淘汰を繰り返しながら成長した。ホメロスという一人の天才詩人の作品ではなく、長い伝統の産物であり、長期的発展の最終的成果が現在のテクストである。(120-121頁)

ホメロス作品がこのように本来は無文字の音声文化から登場したということは、確かに今日の常識であり、もはやそのことに疑いを挟む者もあるまい。しかし驚きなのは、このミルマン・パリーという学者が1902年生まれで、この理論が定説化したのもようやく20世紀になってからだということだ*1。二千年近く、学者たちはこの点について不確かなまま議論してきたわけだ。なんと遅々たる、そして雄大研究史だろう。

また、ホメロス批判が前六世紀というごく早期から噴出していたというのも興味深い。「ホメロスとヘシオドスは人の世で破廉恥とされ/非難の的とされるあらんかぎりのことを神々に行わせた――/盗むこと、姦通すること、互いにだまし合うこと」というのがクセノパネスの詩にあるらしいが、プラトンはじめ、ヘラクレイトスピュタゴラスたちによる道徳的な批判に対して、後にストア学派ネオプラトニズムに影響を及ぼした寓意的解釈説というものも存在するらしい。要するに、一見軽薄なことを語っているようだが、その深層には象徴的意義が存在するのだ、という擁護である。

実際、『オデュッセイア』は寓意的解釈に適した作品である。後に述べるように道徳的教訓が豊かであるばかりでなく、航海の苦難の克服や敵対者との戦いは、人生そのものの比喩にも転じやすいからである。さらに、主人公が浮浪者に変身して偽りの身の上話をする、乞食の素性が王であり、豚飼いが元々は誘拐された王子であるなど、外見と内実のギャップをあぶり出す要素も多い。表面の下に隠された意味の解読が寓話的解釈の神髄であるから、虚と実の差異の明確な『オデュッセイア』はうってつけの素材なのである。(65-66頁)

このような解釈が、また初期キリスト教の時代にも再び現れている。

キリスト教徒にとって、ホメロス叙事詩多神教世界はジレンマの種であった。一神教多神教の融和を図ろうとした初期教父たちは、聖書解釈に古典を取り入れ、ホメロスキリスト教的象徴を読み取った。そのような初期教父たちの一人が、アレクサンドレイアのクレメンス(一五〇-二一五頃)である。彼は帆柱に体を縛りつけてセイレンの誘惑をのがれたオデュッセウスに、十字架上のイエス・キリストとの類似性を認めた(『ギリシア人への勧告』12.118.4)。(95頁)

さらに、ここでは立ち入らないが、中世からルネサンスにかけての解釈史、とりわけ西ヨーロッパ教会がラテン語を、東ヨーロッパ教会がギリシャ語を公用語としてから別々の道を歩み(要するに西ヨーロッパ人にはホメロス原典が中々読めない)、ルネサンスの文芸復興と呼ばれる時代も一筋縄ではいかなかったことの解説なども読み物として興趣あるところだ。ダンテでさえ、ホメロスの名を知っていてもテクストには直接触れていなかったのだという(74頁)。

そしてなによりも今回のエントリにおいて意義深いのは、第一部の末節で二十世紀事情に還ってきた著者が、この世紀に至って『イリアス』と『オデュッセイア』の受容が、『オデュッセイア』の優位に逆転したと述べていることである。

このように[写本数からわかることだが]『イリアス』と比べると古代から影の薄かった『オデュッセイア』だが、形勢が逆転し始めたのは、ほんの一〇〇年ほど前のことである。この転換の記念碑的作品が、第一章で述べたようにジョイスの『ユリシーズ』なのである。十九世紀までの常識では、ホメロスと言えば即ち『イリアス』のことだったが、『ユリシーズ』以降、『オデュッセイア』が叙事詩の模範になったのである。
何がこのような逆転を生んだのだろう。要因はいくつもあるはずだが、注目したいのはヴァンダ・ザイコという研究者の指摘である。彼女によると、第一次世界大戦が転換の契機になったという。
人類初の世界大戦は、戦争についての人々の観念を一変させた、銃や銃剣、大砲などの兵器は、それ以前から戦場で使われていたが、この未曾有の大戦では、より近代的な戦車や飛行機が初めて登場した。催涙ガスや毒ガスなどの、戦争史上初の化学兵器も本格的に投入された。国民総動員体制下で召集され、最前線に送り込まれた兵士たちは、質・量ともに古代の戦さとは比較にならないほど大規模になった近代戦に投げ込まれ、戦死者の数は何百万人にも達した。[...](123-124頁)

伝統的な戦さの在り方を描いた『イリアス』よりも「秩序と平和の回復」に向かう『オデュッセイア』が、より人々の心を掴んだのではないか、という見解である。これこそが古典というべきものだろう。その時代その時代ごとに人々の背後にあって、自らの姿態を変化させながら寄り添っているような。

誉れ

第一部からのピックアップはここまでにしておく。本題であるオデュッセイア的転回について、第二部「言葉の海へ漕ぎ出す」ではどのように論じているか。『オデュッセイア』の幾何学的構成(リング・コンポジションやループ構造)を論じた二章も興味深いが、ここでは特に第四章「<戦争>を後にした英雄」に注目しよう。

オデュッセウスが彷徨の間に捨て去ったものとは、端的には、戦時の行動を支える理念である。それなしには戦うことができない行動規範、戦士の内面に深く浸透している既成観念である。ここではそれをイリアス』的価値観と仮に呼ぶことにする。戦場の行動理念がそこに描かれているからである。ただ誤解を招かないようにお断りしておくが、『イリアス』は戦争賛美の書ではない。むしろ、戦争がもたらす深い悲哀を歌う詩である。それでもあえて『イリアス』的価値観と呼ぶのは、戦争を生き延びるのに不可欠な価値観がそこに描かれているからである。極限状況下で戦うには、精神的な拠り所が必要になる。それは、「誉れ、名誉」の意のκλέος(kleosクレオス)という言葉で表現される。(203頁)

オデュッセイア』では、10年にわたるトロイア戦争終結に導いたオデュッセウスが、祖国イタケへ帰国しようとしたものの、海の神ポセイドンの怒りを買って諸国を放浪し、また10年ものあいだカリュプソという女神に留め置かれ、望郷に焦がれる姿が前半で描かれている。その間にも祖国では残された妻ペネロペイアが乱暴な求婚者たちによって苦しめられ、息子テレマコスは父の生死を案じて旅に出る。後半になって女神の力で変身した姿で帰国したオデュッセウスは、息子との再会の喜びも押し隠して、留守中の狼藉を目の当たりにして、復讐をひそかに練り上げる。そして息子や忠臣と協力して求婚者たち・裏切り者の女中・下男たちを誅殺して、祖国の秩序を回復する。

(1)『イリアス』と『オデュッセイア』の相違として私がまず指摘しておきたいのは、『オデュッセイア』がより人間中心的な世界になっているということである。前者において戦闘の勝敗を決したのは、各将の力量もさることながら、神の加護の有無であり、神に対する感謝の奉献であった。ディオメデスが無双状態になったのはアテネの助力によるものであり、そもそもトロイア戦争の勝敗はすべてゼウスの采配に委ねられていた。

後者において、神の存在感が抹消されているというわけではない。ゼウスの合議によってオデュッセウスの帰国が決定され、そもそもオデュッセウスが経巡るギリシア世界の歓待的秩序全体を統べるものこそゼウスであるということがテクストの端々に現れている。アテネの加護は彼を見守り、終幕における平和状態の樹立は彼女の命令によって確実なものになる。だがいっぽうでカリュプソやポセイドンといった邪魔立てする神々がいることもまた事実であり、それに打ち克つのはオデュッセウスの知恵であり勇気である。つまり次のようなことが言える。作品の主題は、神々の定めた「運命」にあるのではなく、個人がそれを選び守り抜く「意志」にあるのだ、と。

(2)また、以前のエントリで論じていたルカーチ叙事詩/小説の区分で言えば、『オデュッセイア』は小説へのはるかに大きな一歩を踏み出していると言える。王の不在による祖国の不調和を、冒険譚という筋立てを用いながら、再構築へと修復していく同作は、確かに秩序の回復が描かれている点で「しあわせ」ではあるものの、オデュッセウスの旅路には「歩むべき地図」もなく、彼が匿名の変身姿でひとを騙す姿は、「本質なき生」を暗示するものでさえある。

(3)そしてなにより、ここで西村氏の著書に戻るが、死についての見方さえも変化を余儀なくされている。既に述べたように、『オデュッセイア』は戦後に荒廃した祖国を再構築する物語であるからだ。戦後10年という歳月はこの変化を極端に強調しているが、そのことが最もありありと伝わるのが冥府のエピソードである。

アカイア方の総大将としてあれほど傲慢にあれほど威勢よく自らを飾りたてていたアガメムノンは、トロイエ戦争では命を落とさなかったものの、祖国に帰国するや否や、妻とその愛人アイギストスに暗殺されてしまう。英雄の哀れ! 戦争においてあれほど栄華をきわめていた男も、死んでしまえば何も残されはしない。また『イリアス』の主役であったアキレウスは予言通り戦争中に殺されている。以前のエントリでは、死を待ち受け、受け入れ、乗り越えることこそ『イリアス』の美徳であると述べたが、確かに彼は名誉を得たといえる。アキレウスアガメムノンに次のように語りかける。

あなたは[...]トロイエの国で死を迎えて果てる方が、どれほどよかったか判らぬ。さすればアカイア全軍が、あなたのために墓を築いたであろうし、あなたも御子息のために、後々まで大いなる誉れ(κλέος)を残してやれたであろうものを。

さりとてアキレウスといえども、昏い冥府でなすこともなく、現世での栄光にすがる姿は英雄に相応しからぬものを感じさせる。彼はまた次のように言うのである。

世を去った死人全員の王となって君臨するよりも、むしろ地上にあって、どこかの、土地の割当ても受けられず、資産も乏しい男にでも傭われて仕えたい気持ちだ。

この箇所について西村氏はこう注釈している。

この言葉からは、どんなに悲惨な生でも死よりは尊いというメッセージが伝わってくる。『イリアス』で長寿よりも戦場での死を選択した人物の発現であるだけに、他の誰よりも雄弁に、生の重みを訴えかける。オデュッセウスは絶望のあまり自死を考えたこともあったが(10.49-50)、冥界訪問後の主人公は激しい嵐に翻弄されても必死で「死を逃れよう」とし(5.326)、あえて苦難に耐えようとした(5.362)。彼の不退転の決意は、死者たちによって固められたのである。(176頁)

それゆえ、『オデュッセイア』は、その最も印象的な個所である冥府降りにおいて、『イリアス』的な価値観に真っ向から挑戦している。それは英雄崇拝であり、同じことだが、死を我が定めとして受け入れる態度である。それに代わって『オデュッセイア』が自らの価値として打ち立てようとしている誉れ観は、生き残り、故郷に帰り、再び平和と安寧を回復すること、これだろう。

そこからの分析で、ペネロペイアが旧来の『イリアス』的価値観を引きずっていること、セイレンの歌声が魅力は「『オデュッセイア』の主人公を『イリアス』の世界に引き戻そうとする力」(214頁)にあること、パイエケスの楽人によって初めてオデュッセウスが戦争の「悲嘆」(218頁)を感じ取ったことを説得的に論証してゆく本書は、オデュッセウス的転回」こそが作品全体のおおきな螺旋回しになっているのだということを論証しているのである。

本書の副題は「<戦争>を後にした英雄」で、これは水林章の『カンディード <戦争>を前にした青年』(みすず書房、2005)を踏まえてのものらしいが、西村氏はそこで水林氏がヴォルテールの『カンディード』をroman de désapprentissage(反-教養小説学びほぐしの小説)と称しているのを以て、オデュッセウスの旅路もやはりこのデザプランティサージュなのだという。戦争によって学んだ、というよりも学ぶことを余儀なくされた価値観、ひとを殺し、自らの死を受け入れることこそが誉れであった価値観を、少しずつ学びほぐしてゆく物語なのである、と。

秩序の回復?

オデュッセイア』はこの点確かに戦後の荒廃からの復興を歌う、癒しにも似た叙事詩である。しかしながら、ここからは完全に拙見であるが、以前のエントリの註2で示唆しておいたように、『オデュッセイア』もまたイデオロギー的な統治術に役立てられうるのではないかということを論じたい。

オデュッセイア』が奸計に長けた智将オデュッセウスの冒険を主題とする「個」の物語であることは既に述べた。もちろん彼の旅程には配下の仲間たちがいたが、彼らはオデュッセウスの失策あるいは彼ら自身の粗相によって全滅する*2。それゆえオデュッセウスは旅路の果てに単独者としての自己を見出す。アドルノ/ホルクハイマーはまた『啓蒙の弁証法』でセイレン譚を取り上げ、オデュッセウスを「自己保存的理性」(岩波文庫、132頁)と呼んでいる*3。彼はどこまでも「個」なのである。

にもかかわらず秩序の回復、平和と安寧の再興という物語形式は、個を共同体へと再吸収してゆく。ここでもやはり西村氏の見解を借りよう。彼女は、求婚者たちの誅殺でひとまず物語上の完結を見たはずの『オデュッセイア』が、どうして蛇足とも言うべき一章を加えて、そこでオデュッセウスとその父ラエルテスとの再会による、親子三代の邂逅を描いたのか、と問う。結論を言えば、これは物語構造上必要不可欠なのだ、ということになる。

家父長制社会では、父と息子のつながりは他の何にもまして重要である。オデュッセウスには、息子が一人しかない。そして彼自身も、一人息子である。老父が田舎で質素な隠遁生活を送るのは、息子が長く帰国しないことへの絶望からであった。ラエルテスがなぜそれほどにも嘆くのか、現代人には理解しがたいが、家父長制家族における息子の重要性によって彼の悲嘆は説明がつくだろう。
「夫と妻」だけではなく「父と子」も含めた「家族」(厳密には家父長制家族)が、『オデュッセイア』では重視される。社会の基本的最小単位としての家族の回復と社会秩序の回復は、この詩篇では等価である。そして「父と子」のテーマは、全篇の最初と最後をつなぐ架け橋として機能する。主人公と父が再開し、父とともに戦うことによって初めて、物語は完結するのである。(151頁)

個と社会、個と共同体を結ぶのは、家族という社会の基本的最小単位である。それゆえ次のように言っておこう。オデュッセイア』の基本イデオロギーは、家族であり、家父長制である

運命と死によって共同体の秩序のなかに投げ入れられた人々は、戦後の荒廃と回復されない秩序のなかで、自らの拠り所を失ってしまう。約束されていたはずの誉れでさえも、十分に与えられたものとは思えない。この答えのないかのように思われる疑問――この問いこそ「小説」の初めの深淵なのだが――に対して、家族の再結集と再生産秩序の回復が回答している。それが『オデュッセイア』である。そしてそれが、再び共同体のなかに人間を投げ入れることによって、次に来たるべき戦争の準備をさせるものであることは、疑いえないことのように思える。

それゆえ、ここまでのところは『オデュッセイア』を『イリアス』的価値観への挑戦、相対化、あるいは転倒であると述べたが、考えを改める必要がある。両作品は、実は相補的に、戦時下では死と栄光のなかに、戦後には生と再生産のなかに、つまりは共同体のなかに、人を転がし入れつつげる。人の世の円環がここには表現されているのである。

このことはまた、何故二十世紀に『オデュッセイア』が受け入れられたかについての説明を補うものでもある。20世紀は、既成の共同体が崩壊に瀕し、根を奪われた人々が新たな秩序の再建を求めて悪戦苦闘した時代でもあった。それに第一次世界大戦が寄与していることは、たとえばバンジャマン・クレミューの『不安と再建』が証言してくれているが、もはやそれは一世紀を覆い尽くす現象なのである。そのような時代に、『オデュッセイア』は一つのモデルを提供してくれるに違いない。とりわけジェイムズ・ジョイスのような作家は、『オデュッセイア』を種本としながら、被植民地としてのアイルランドを舞台に、独立と秩序の再建をめぐる苦悩を小説世界に描き込んだ。

家族制度、あるいは家父長制は、国家主義イデオロギーに相通ずるものとしてながらく批判の的とされてきた。しかしそれを批判すれば危険から免れうると考えるのは、批判者たちの思い上がりというものである。共同体、およびイデオロギーとは、どうしても付き合っていかねばならないものであり、古典はそれとの付き合い方を示唆する教科書でもあるだろう。

*1:ついでに言うと没年は1935年。33歳の夭逝というのも驚きだが、これは事故的な銃撃による死らしい。銃社会アメリカ。

*2:放浪回顧談は「亡くなった仲間たちへの鎮魂歌ではないか」(192頁)とする西村氏の見解には大いに賛同できる。

*3:この点について後日補足した。「アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』と『オデュッセイア』」