『イリアス』における運命論的思考

今回は『イリアス』における世界観、特に「運命」についての考え方について書く。はじめに叙事詩というジャンル及び世界についての後世の評価に触れ、それを批判的に検討する。それから『イリアス』における具体的描写を引用しながら、そこで「運命」が如何様に描かれているのか眺める。

しあわせな時代と叙事詩

小説の理論 (ちくま学芸文庫)

小説の理論 (ちくま学芸文庫)

ハンガリーの哲学者・美学者であるジェルジ・ルカーチ(1885-1971)は1920年の著作『小説の理論』のなかで叙事詩を次のように捉えている。

自己を失うことがありうるということを心情はまだ知らないし、自己を探求しなければならぬということなど考えてもみない。これが叙事詩の生まれた時代である。[...]自らを墜落へと誘ったり、道のない高みへと駆りたてたりするかもしれぬような、自己のうちの深淵を、心情がまだ知らないとき、また、世界を支配し、未知の公平な贈物として運命を分かち与える神性が、あたかも幼児にとって父親がそうであるように、理解はできないがよく知られているものとして、人間の間近に立っているとき、そのようなときには、あらゆる行為は、心情にぴったりと合った衣服のようなものにほかならない。その場合には、存在と運命、冒険と完成、生と本質とは、同一の概念である。なぜなら、叙事詩がそれに対する、形象化による答えとして生まれてくるところの、問いとは、生はいかにして本質的となりうるか、という問いだからである。そして、ホーマー[ホメロス]の近づきがたさ、およびがたさは――そして厳密にいえば、ホーマーの詩だけが叙事詩なのである――歴史における精神の歩みが、その問いをはっきりと提起するより前に、かれが答えを見いだしてしまったという点にあるのである。(ジェルジ・ルカーチ著、原田義人・佐々木基一訳『小説の理論』ちくま学芸文庫、11-12頁)

すなわち、叙事詩的世界においては、世界と自我とのあいだに調和的で均整のとれた関係が保たれており、単純な生はその本質を容易く見出すことができる。「生はいかにして本質的となりうるか」、言い換えれば、「私は何故何の為に生きているのか」という生存の意味についての問いは、その問いに先んずる答えによって包摂されている。その答えは、世界の側から、神々の側からやってくるのであり、「かれらはけっして単独で行くのではなく、つねに導かれて行くのである。かれらの歩みが揺るぎない確信にみちているのはそのためである。」(105頁)
このエッセイはこう始まっていた。「星空が、歩みうる、また歩むべき道の地図の役目を果たしてくれ、その道を星の光が照らしてくれるような時代は、しあわせである。」(9頁)これは、あるいは「心情のうちに燃えている火は、星たちと同じ本質的性質をもっている」(同)という文言は、カントの以下の言葉を意識しているのだろうか? 「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない。」天上の星々と、内なる自我とが一致して、自らの存在が疑いの余地なく満たされているとき、ひとは自らの為すべきことを知っており、しあわせであるとされる。そしてそれが叙事詩の生まれた時代なのだ、と。

不幸な意識と小説

この投稿の本題ではないので雑記するに留めるが、これに対置されるのが叙事詩以後の時代であり、小説の時代である。

われわれはわれわれの内部に、それのみが真の実質であるところのものを発見した。それゆえ、われわれは認識と行為、心情と形態、自我と世界とのあいだに、架橋しがたいさまざまな深淵をおき、深淵のかなたにある実質性を、すべて、反省性のうちに飛びちらしめねばならなかった。(18頁)

ひとつの深淵、自己意識と呼ばれる深淵は、遅延を許さない性質の問いを投げかける。「生はいかにして本質的となりうるか……?」しかし、この問いに答えてくれる神々はもはや存在しない。問いかけが、あらゆる答えに先行するようになり、そしてあらゆる答えを拒絶する。叙事詩以後の時代は、運命なき存在、完成なき冒険、本質なき生が世界の中心に置かれることになる。
この神々の不在の時代が、如何なる歴史的過程によって到来したかを問うのは無益なことである。ひょっとすると、神々のおわす「しあわせな時代」など存在せず、私たちがただそれを懐古的/神話的に空想しているだけかもしれない。別にそれでも構わない。しかしながら、まさにそのような懐古、郷愁が、私たちのうちに避けがたく存在するということ、それこそが生と本質のあいだの「ひび割れ」を証明しているのである。そして、叙事詩が「しあわせな時代」のための表現であったのと同じように、このひび割れのための表現もまた存在する。
それが小説である。「小説の形式は、他のいかなる形式にもまして、先験的な故郷喪失の表現」(30頁)である。
また彼の別の言い方では、「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩」である。(108頁)
小説というものは、調和に満ちた世界に亀裂が入り、それを補修する必要の生じた時代の表現であり、そこでは主人公が調和を取り戻すための探求に出ることが範型となる。
答えが世界の側に用意されていないのだから、それを単独で探し求めなければならない。探求は「絶望的な試み」(55頁)であるとされるが、それは、探究が成就しえないものであり、かつ、探究を止めることはできない、という二重の意味において絶望的である。

小説の主人公たちは探求する人間たちである。探求するという単純な事実は、いかなる目標も道も与えられてはいない、ということをあらわしている。あるいは、目標と道とが心理的に直接、揺るぎないものとして与えられているということは、けっして、真に存在している諸連関とか倫理的な必然性とかを明白に認識しているとことではなくて、たんなる心情的な事実にすぎず、客観の世界においても、規範の世界においても、それに対応すべき何ものもないということを表している。(64-65頁)

小説は冒険の形式であり、内面性の固有価の形式である。小説の内容は、自らを知るために着物を脱いで裸になる心情の物語であり、冒険を求めて、それによって試練を受け、それによって自らの力を確かめながら、自らに固有の本質性を発見しようとする心情の物語である。(110頁)

イリアス』における運命論的思考

小説の話はこれまでにしたい。いま関心を惹くのは叙事詩であるが、ルカーチの議論は叙事詩に具体的に言及せず、アプリオリな判断を与えている(彼の関心を惹くのは小説なのだから、仕方ないのだが)。彼の議論はどこまで有効たりうるか。
ルカーチの発想は反映論的である。調和的な時代には調和的な表現が、ひび割れた時代にはひび割れた表現が、というように、表現芸術は時代を反映する鏡であると捉えている。これを下部構造が上部構造を規定する、という言い回しに変えれば、きわめて俗流マルクス主義的な「表現」理論が成立する*1
しかしながら、イデオロギーの機能はもう少し複雑に機能するだろう。たとえば、『イリアス』においては、英雄たちが恬淡として死を受け入れ、神々との交わりにおいて運命を甘受することが、徳であるとされている。もしこの作品が傑作として賛美され、正典化されて、万人の従うべき範となれば、そのことで利益を得るのは誰か。為政者であり、国家組織である。戦争が奴隷や宝物を得る主な手段であった古代都市国家の為政者にとっては、兵卒から恐れを奪い、死を従容として受け入れさせることほど重要な課題はない。逃げ出すのは臆病者であり、前線で戦うのは英雄である。かかる規範は如何に抑圧的に作用するだろう。叙事詩ルカーチのように素朴に「規範的な幼児性」(81)と考えることはできない。それは意図して創作された子供たちである。
西洋文学の祖たる『イリアス』が戦争を描いている。これはまったく故なきことではない。これは、西洋文学というものがイデオロギーの単なる反映としてではなく、むしろそれを規定するための共犯的な役割を果していたことを明らかにするだろう。
「運命」とはひとつの重要なイデオロギーであるイデオロギーとは、ここでは雑駁な定義しか与えられないが、その観念の外部を認めさせない思考を指す。たとえば「面白くなきゃテレビじゃない」というとき、その「面白さ」はそれ以外の在り方を排除するという意味で、イデオロギーである。運命は何ぴとたりとも逃さない。それは死に合理的な理由を与えることで、生を全体化する。
作品を時代の反映として捉えるルカーチの思考法には、この点欠陥があり、彼もまた神話のイデオロギーに捉えられていると言える。*2

死を描く

いくつか、『イリアス』における死の描写及び死を待ち受ける描写を引用することで、まとめに代えたい。以下の引用は松平千秋訳『イリアス』(上)(下)岩波文庫、1992年から。
まず、はじめに描かれる死は第四歌に現れる。一段落まるごと引用しよう。

全軍中第一番にアンティロコスが、最前線で戦うトロイエ方の勇士、タリュシオスの子エケポロスを討ち取った。アンティロコスが先手を取って槍を放ち、馬毛の飾りを施した敵の兜の星に当てれば、槍は相手の額にささり、青銅の穂先は骨を貫く。撃たれた男の両眼を闇が蔽い、彼は激戦のさなかに、槍の崩れるが如く倒れ伏した。剛毅のアバンテス勢を率いる、カルコドンの一子エレペノルは、倒れた男の脚を掴み、すぐさま武具を剥ぎ取らんものと、槍の飛び交う中から、死骸を曳いてゆこうとしたが、その懸命の努力も束の間に終った。剛毅のアゲノルが、戦友の死骸を曳き摺ってゆく彼の姿を見るや、腰をかがめた彼の脇腹が、楯からはみ出たのをめがけて、青銅の穂先の槍で突き、四肢を萎えさせてしまう。息絶えた彼の遺骸をめぐって、トロイエ、アカイア両軍の激闘が続き、狼の如く互いに襲いかかり、人と人とが激しく揉み合った。(上133頁)

アンティロコス(アカイア方)がエケポロス(トロイエ方)を殺し、その死骸から武具を奪おうとしたエレペノル(アカイア方)をアゲノル(トロイエ方)が殺す。どちらも痛み分けというところだが、いまは「両眼を闇が蔽い」という描写に注目しよう。これは『イリアス』中で何度も頻出する死の描写である。ホメロスの描写法は視点の取り方からして如何にも自由闊達だが、ここでは彼が死者の目線に立っているともとれる。あるひとが死んだとき、傍からは彼の眼が闇に蔽われたと見えない。それが見えるのは死者の側であり、それまで彼が捉えていた世界が闇に蔽われる。私は「両眼を闇が蔽い」という描写を読むたびに、その死者の立場に立たされ、その死を追体験させられ、突如訪れた死の迫真性を感じさせられる。
次もまた死の描写として典型的である。

ついで、エウアイモンの子エウリュピュロスは、勇士ヒュプセノルを討ち取ったが、その父はかつて河神スカマンドロスを祀る祭司で、国中から神の如く崇められていたドロピオンなる者であった。エウアイモンの優れた息子エウリュピュロスは、眼の前を逃れてゆく彼を追い詰め、剣を揮って躍りかかるとその肩に切りつけ、逞しい腕を切り落とす。血塗れの腕は地上に落ち、赤黒い死と免れがたい運命が、その両眼をしっかと閉じた。(上142頁)

死は赤黒い。これは血の色を連想させるが、別の箇所の註で「「黒い」は苦痛にかかる枕言葉風の形容辞」(下巻96頁註)ともあるので、体系的な色彩感覚なのだろう。また死は免れがたい運命と等号で結びうるものであり、叙事詩世界の運命論とはひっきょう死についての思考法であると言えよう。
次はきわめてグロテスクな描写。

[...]アガメムノンは真先に敵中に突入し、軍勢の牧者ビエノルを倒したが、彼とともにその家臣、馬を御すオイレウスをも討ち取った。すなわち、彼が戦車から跳び下りて相対し、勢い込んで真直ぐに向かってくるところを、鋭利の槍でその前額を突けば、重い青銅の兜の鉢も槍を支えきれず、槍は兜を通し骨をも貫いて、脳髄はことごとく兜の中に散乱する。[...](上336頁)

これは直球な描写だから、どのような効果があるのか多言を要しないだろう。
読者の視覚を巧みに誘導しながら描かれるこれらの死は、当時の聴衆にあっても恐怖を感じさせたものに違いない。このように、死についての描写は、単に死を崇高化して、清浄化することによって成り立つものではない。描写のレベルは、むしろ死の残酷さ、恐怖を強調する。それによって、かくも恐ろしい死を耐えることが称賛に値するようになるのである。

死を待ち受ける

次に、ヘクトルによる死の予期。前回のエントリで述べたように、第六歌で妻のアンドロマケと別れを告げる場面は叙事詩中の白眉である。彼はアンドロマケを慰めて次のように語る。

どうしたというのだ、あまり思い悩むのはやめてくれ。わたしの寿命が尽きぬ限り、わたしを冥府に落とすことは誰にもできぬのだ。人間というものは、一たび生れて来たからには、身分の上下を問わず、定まった運命を逃れることはできぬ。さあ、そなたは家へ帰り、機を織るなり糸を紡ぐなり、自分の仕事に精を出し、女中たちには各自仕事にかかるように言い付けるのだ。戦さは男の仕事、このイリオスに生を享けた男たちの皆に、とりわけてわたしにそれは任せておけばよい。(206頁)

ヘクトルの死はあまりに悲しい。トロイエ方で最強の軍人だが、弟パリスの不手際の責任をとるためにも彼は前線に出続けねばならず、妻との永訣はあらかじめ予期されていたことだった。『イリアス』自体、ヘクトルの死後、彼の死体をトロイエ方が回収するところで物語は終わる。
彼とアンドロマケの別れの場面で、もっとも支配的なのが運命である。彼は死を恐れない。何故なら死の定めはあらかじめ決められているからであり、人間が足掻いて避けられる類のものではない。だとすれば、戦場での死闘は恐れるに足らない。英雄たちの高邁の精神には、このような楽観が根底にあると考えてよい。
他方アキレウスの死は『イリアス』には描かれない。ところが彼の死もあらかじめ定められている。それは生まれたときに予言されていたことで、母親テティスも彼が生まれたことが不幸だったと何度も嘆いている。

「わが子よ、そなたがそのようにいうのであれば、辛いけれど長くは生きられまい、ヘクトルに続いてすぐそなたにも死の運命が待っているのだから。(下199頁)

彼の死は作中で何度も予言される。しかしそれは叙事詩のなかで実現されない。この事実はいくらか拍子抜けさせる。
基本的にホメロスの世界で動物は喋らないが、第十九歌では女神ヘレの能力によってクサントスという馬がアキレウスに人語を語る。

「豪勇アキレウスよ、いかにもわれらはこのたびはまだあなたの身をお守りしましょう、ですがあなたの最期の日は間近に迫っているのです。それもわれらのせいではなく、偉大なる神と強力な運命の女神のなさること、それにまた、トロイエ勢がパトロクロスの肩から武具を剥いだのも、われらの動きが鈍かったためでも怠慢のせいでもなく、髪美わしきレトのお産みなされた、神々の中でも特に優れた神が前線で討ち取り、ヘクトルに功名をたてさせられたのです。われらは最も脚の速いといわれる西風とでも速さを競うことができるつもり。つまり、さる神とさる勇士との手にかかって最期を遂げるのは、あなた御自身に定められた運命なのです。」(下246頁)

それに応えてアキレウスが言うには、

「クサントスよ、どうしてわたしの死を予言したりする。要らざることだ。わたしが父母から離れたこの地で果てる運命にあることは、自分でよく承知している。とはいえ、トロイエ勢に嫌というほど戦いの苦汁を味わわせるまでは、わたしはやめぬぞ。(下246-247頁)

ヘクトルアキレウス、ふたりの豪勇は真反対の立場に置かれているのではあるが、神々の前で彼らの立場は共通している。運命を受け入れ、それまで闘い続けること。国は敗れても彼らの偉大さは歌い続けられる。その意味でゼウスの眼差しは人みな全てに注がれているのであり、かつ同時に、戦争の勝利敗北にかかわらず、死を受け入れることは称揚されている。
さて、最後にこのヘクトルアキレウスの勝敗が決した後のやりとり。

「[...]そういうアキレウスに、輝く兜のヘクトルが、息も絶え絶えにいうには、
「おぬしがどういう男か、その顔を見ればよく判る。そもそもおぬしに頼みを聴いてもらおうというのが無理であった。おぬしの胸の心は鉄のようなのだからな。だが今から考えておくがよい、いずれおぬしが神々の怒りを買う因に、このわたしがなるかも知れぬことをな、パリスとポイボス・アポロンが、スカイア門の辺りで、おぬしを――いかに豪勇の士とはいえ――討ち取るその日のことだが。
こういった彼を死の終りが包み、その魂は己れの運命を喞ちつつ、雄々しさと若さとを後に残し、四肢を抜け出して飛び去り、冥王の館へ向かった。勇将アキレウスは息絶えたヘクトルに向かっていうには、
死ね、わたしはゼウスを初め他の神々方が、それを果そうとなされた折には、わが死の運命を甘んじて受けよう。」(323-324頁)

これはもう名場面としか言いようがない。この場面を読むとき、作中でアキレウスの死が描かれていないなどということが実に些細なポイントであるかがわかる。死は予言のうちに既に描かれており、重要なのは、死の場面というよりも、如何に死に構えるか、これである。その意味では、既にアキレウスは死を超えているとすら言える。

ここまで長々と引用を重ねてきたのは、『イリアス』が死を描くこと、死を待ち受ける人々を描くことにどれほどの才を尽くしているかを理解してもらうためである。そしてその意図は十分に果たされたはずだ。読者は多くの兵卒たちの死を恐怖として受け止めつつ、それを乗り越える英雄たちの態度を讃嘆せずにはいられない。それは掛け値なしに。いっぽうで私たちの感情は利用される。操作されていると言ってもいい。このことについては繰り返さない。いまや私の関心は、こうして構築された死についての運命論的モデルが、どのようにして『オデュッセイア』に引き継がれ、さらには相対化されるか、ということである。

*1:この時期の彼はマルクス主義者ではなくヘーゲル主義者であることは留意されたいが。

*2:私は、『オデュッセイア』についてはこれと正反対のことを考えている。『オデュッセイア』は『イリアス』を相対化することにより、運命論的思考のイデオロギーの解体を試みている、という風に。しかしこの節で展開したことをきびしく適用すれば、イデオロギーとはそこから超脱した立場を採りうるものではない(その超脱という立場もまたイデオロギーである……)ため、『オデュッセイア』にも何らかのイデオロギーが介在することを認めねばならない。解体、再建、解体、再建……これでは堂々巡りではないか? このことは課題としたい。